山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

離婚のための結婚

今日から8月。
ちょっと仕事上でハッピーなことがあって、ご機嫌だぜ。自分で考え、自分でつくり、自分で売り歩いたものが、心ある人に売れると嬉しいものだ。ふふふ。
秋に具体化したら、お知らせしたいと思いますので、ご期待下さい。(実は水面化で進行中のもうひとつのビッグプロジェクトもあるだなあ~、これもフィックスしたらお知らせしたいっ。)

でもって、関係ないけど、本日はビデオにて、映画「ディボース・ショウ」を見る。ディボースとは離婚のことですね。ジョージ・クルーニー演ずる凄腕の離婚弁護士とキャサリン・セタ・ジョーンズ演じる、お金持ちと結婚して離婚し、財産をせしめることを生業にしている(詐欺とはいえないまでも結婚詐欺みたいな)女性との、離婚を巡るロマンチックコメディといったところでしょうか。

まあ、ひとことでいうとつまらん映画でした。
が、ジョージクルーニー、キャサリン・セタジョーンズと二人ともセクシーぶりを競わせたら、どっちもどっちってくらいの濃いキャラでしょ。舞台はビバリーヒルズとラスベガスですよ。それだけでも見たいじゃないですか。キャサリンの衣装もゴージャスだし。しかもテーマは結婚ではなくて、『離婚」

そりゃ、アメリカは離婚率50%の国です。結婚がテーマになるなら、離婚もね。けどさ、ひとはなんのために結婚し、なぜ浮気をし、そして、離婚するのかってことを考えずにはいられませんでした。(映画はくだらないけど)

結局、アメリカ人にとって、「結婚」とは契約なのだな、ということでした。それは、愛というかたちのないものに形を与えることですよね。まあ、日本の結婚も同じようなものか。「籍を入れる」=ちゃんとする、って考えているひと多いよね。

ふたりが納得していれば、それを誰かに認めてもらう必要なんてないのになあと思うんです。婚姻届を出すっていうのは、国に認めてもらおうとすることだよね。どっちかが死んだときの財産分与を考えると結婚制度も必要だけど、財産の問題だけクリアできれば、私は結婚制度っていらないんじゃないかと思うのでした。

ひとが誰を好きかなんてことを、誰かに保証してもらう必要なんてないじゃん。例え、恋愛が途中で終わっても、そこに法律が介入するのはなんだかな。(子供の問題は別だけどね)

そんなわけで、とりとめのない月曜日。今日から8月。楽しい後期夏の始まりだ~。