山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

愛する犬への手紙


写真は、ブルース・ウエーバーふうに撮ってみた、うちのDOGS!

まだ、見ていないけど、映画「トゥルーへの手紙」は予告編を見ただけでかなりやられてしまう映画である。

これは、ブルース・ウェーバーというアメリカ人の写真家が撮ったもので、主演は4匹の犬らしい。タイトルの「トゥルー」とはそのうちの一頭の名前である。真実という名前の犬。すでに、映画のHPが出来ていて、そこへいくと、身をよじるほどカワイイ四頭の出演者(出演犬)に会うことができる。

監督は、カルバン・クラインなどの広告写真家として著名らしく、すでに入手した雑誌「ブルータス」によれば、全米に4つくらいの別荘があって、そこらを犬とともに移動しながら、撮影をしているらしい。

海と別荘と犬。この写真がまた、垂涎もので、特に犬好きでなくても、一瞬にして憧れてしまうような暮らしぶりである。

でもって、この映画は、9・11のテロ以来、旅をしていると、犬の安否が気になるようになったブルースが、自分の犬に向けて書いた手紙の形式をとっているようだ。(なぜなら、ブルースのニューヨークの自宅はグランドゼロの近所だったので、事件があった時、犬たちの安否が心配だったそうだ)

ここで、用心深いひとや、繊細な感受性をもっているひとは、ちょっと立ち止まるかもしれない。海外はいざしらず、過去の日本で「○○への手紙」と銘打って書かれた文芸書(といえるかはさておき)に、ロクなもんがないという記憶があるせいだろう。ロクなものがない、というより、うす気味悪いものが多かった、と私は記憶している。

だから、いくら大好きな犬への手紙であろうと、その犬が私もこよなく愛する、ゴールデンレトリーバーであろうと、予告編やブルータスの写真が、とてつもなくかわいらしいだけでなく、芸術的完成度が高かろうと、すぐに感動しちゃいけないのでは、と警笛をならしているのである。

うう。
しっかし、ものすごくそそられる写真および映像なんだな。そして、テロなどの大惨事が起こるたびに、犬のことが心配になる気持ちもものすごくわかるのである。これが妻や子供が心配になる・・というのなら、そんなにそそられない。(そうだろうけどさ)だって、相手は犬なんですよ。大惨事を前にして、犬の安否はどうしたって、後回しにされそうじゃないですか。 「あそこには私の子供がいるんです」と言えば、自衛隊も救出を手伝ってくれそうだけど、
「私の犬が・・」と主張したところで、「だまっとれ、人間が先じゃ」と怒鳴られるに決まっている。そして、実際、大惨事が起これば、ヒトが優先されることに異議を申し立てるつもりもない。ごもっともです。うちの犬たちより、尊いヒトさまの命を救ってくださいませ、である。

だからこそ、心配ってのがある。ここに正々堂々、愛を主張できない対象へのせつなさがある。今は「愛情」というのは、かなり優位の感情だから、「愛する女のため」とか「愛する子供のため」に、なにかをしでかしちゃうことに対して、世界は、やさしい。たったひとりの女を救うために、軍隊やとって、たくさんの犠牲者を出して戦っても、ほめられちゃったりするのだ。

まあ、いいや。
なにごとも未来への希望につながるなら。早くみたいな、「トゥルーへの手紙」。表参道では、特設会場ができて、ドッグランなども併設されるらしい。ウフ。行こうじゃないの。うちの愛犬を連れて行こうじゃないの。ウフ。

そして、私もつい、愛するウチの犬たちにむけて手紙を書きたくなるのだった。はしたなくもね。