山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ひとりきりの食卓で。

今日は、自転車キンクリート公演「セパレート・テーブルズ」という芝居を見ました。

自転キンさんとは長いおつきあい。10年以上前、初めてドラマ撮った時に、ここの劇団の俳優さん、女優さんに出演してもらったんだよなあ。(あの頃は、ほんとドラマのことなにもわからないで、夜のシーン撮っているうちに朝が来たりしたよなあ。よくつきあってくれたと思う)

この劇団は、日本女子大の学生が作った女子だけの劇団で(最初の頃)、当時は、ずいぶん、話題になったのだった。そんな劇団もすっかり、有名になって。
本日の演目は、イギリスの著名な劇作家、テレンス・ラティガンの作品で演出はマキノノゾミ氏でした。

15分の休憩をはさんでの4時間近い公演。長かったよー。
舞台は、イギリス南部の海辺の街にある小さなホテル。タイトルに「セパレートテーブルズ」とあるように、このホテルには、長期滞在者がいろいろいて、それぞれが、自分のテーブルで食事を取る。

身寄りのない老人、老女、のんだくれのジャーナリスト、そして、しっかりものの支配人の女性。噂好きな親子など。

全体は2部に別れていて、1部は、飲んだくれジャーナリストの恋愛モノ、2部は、元・少佐の嘘つき
セクハラ事件(?)みたいなもの。

どっちかっていうと、2部のが好きだけど、なぜかっていうと、1部の結末がどうもあまり好きじゃないからだった。のんだくれのジャーナリストのところへ、彼の前の妻がやってくる。この妻はかつては売れっ子モデルだったという美女だが、今は40歳になり、2度の離婚を経て、頼るひとがいなくなっているのだ。

それでも自分の美貌を武器に、だれかに頼ろうとするわけ。でもって、ジャーナリストは、しっかり者のホテルの支配人ともつきあっているのに、結局、この美貌だけが頼りのどうしもようない女を選ぶんだよねえ。

美貌を武器にして生きるのはたいへんだよね。女優やモデルさんをみていてつくづく思う。どっちかっていうと、美貌があっても別の仕事をしたほうが、絶対有利だと思う。作家なのに美人とか、政治家なのに美人ってほうがおトクでしょう。

美貌を武器にして女優になろうとしても、大成できるひとはわずか。それでもあきらめきれないと、次に美貌を行かせるのは、風俗ってことになってしまう。ので、かつてタレントで今ホステスやっている知人は結構います。

それも30代半ばすぎるときついらしくて、「結婚してラクになりたい」とおっしゃる方が多い。
まあ、そのうちのひとりに言わせると「ホステスって結局売春なのできつい」そうだ。彼女はギンザのホステスさんになって長いけど、しみじみ、そう感じるらしい。こういう正直なところが好きで、時々飲んだりするけど、美貌を武器にするってことは、結局、そういうことになるのだよな。

でも、この芝居のように、引き受けてくれる人はなかなか見つからないらしい。

けどさ、「ひとりきりの食卓」を選べばいいじゃないって結論がどうしてないのだろう。誰かに選んでもらうことばかり考えて年をとるより、ひとりでいいやって思った方がいいのになあ、と思えて、だから、1部の結末があまり好きじゃなかった。

しかし、この芝居が書かれたのは今から50年くらい前。とすると、50年たっても、ヒトのやることはしみじみ変わっていないということ?1ミリも進んでいない?とすると、いったい・・という気分にもなるのだった。