山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ブロークバックマウンテン・愛情関係の一回性

仕事のあと、渋谷で、ずっと見たかった「ブロークバックマウンテン」を見た。

かなりの話題作だったから、先入観があったけど、想像していたのとはちょっと違った。
例えば、朝日新聞の映画評で沢木耕太郎さんが「二人の男性の一生の物語を、あえて若い俳優にやらせていたが、若者がやっても違和感がなかった」みたいなことを書いていたと思ったけど、一生といっても、中年までの物語だから、この記述を読まなければそんなこと考えもしなかった。

今って、20代から30代後半くらいまで、あんまり外見の雰囲気の変化のないひと多いから、違和感なかったんだよなあ。

それから、一度は一緒に暮らそうと提案されたのに、それに応じなかったことを相手が亡くなってから後悔する、と説明にあったように思うけど、そんな印象は持たなかった。そんなに単純な作りとは思わなかったし。

もちろん、これらのことは小さなことで、映画は、とてもよかった。主人公ふたりは男同士だけど、愛のありように男女の差はないし、一方で、どんな愛情関係もそれぞれにユニークであるからだ。同性愛のプロパガンダ映画のように、誤解されがちだけど、そうじゃないなあと思った。ある愛の詩だ。ひとつの愛情の始まりから終わりまでを描いたもの。きれいごと抜きに。

一方で奇妙なことも感じた。
まだ、同性愛に対する偏見が強い時代、二人は愛し合いながらも、女性と結婚する。
この展開を見ていると、女性が出てきたときになんか、「けっ、女か。女なんかにわかるか」なんて思ってしまう。自分も女なのに。

こういう事ってあるよね。って、どういうことかといえばさ、男が男を愛する物語を繰り返しみていたら、きっと、そういうもんだ、って思ってしまうということ。女の幸せは結婚だよね、と繰り返されればそれを真実だと思ってしまうだろう。

そんなことはともかく、ここのところ、傷つくことが多かったので、とても心にしみてしまった。後半は泣きっぱなし。マスカラとアイラインが一緒におちて、パンダみたいになってたと思う。でも、いいや。

せつなかったなあ。ていねいだったなあ。しばらくぼんやりし続けた。

ていねいな仕事がしたい。

自分もちゃんと小説書こう。映画も撮ろう。
と、あらためて、つよく ふかく 思う夜でした。