山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

14歳の母について

テレビドラマ「14才の母」の熱心な視聴者ってわけではないのだけど、十代での妊娠、出産について、ぼんやり考えたことなど。

最初は、自分だって14才で子供を産むなんてあんまりだ、無謀だ、その先の人生たいへんだ!と割と普通の感想を持っていた。命の大切さ・・という方向では考えることができず、ひたすら、母親になる側の苦労ばかり考えたのである。

が、もっと考えたところ、まったく違う視点がでてきた。10代の妊娠・出産・・というか、何歳だろうと、未婚だろうとなんだろうと、自由に産めて、それをサポートできる社会がきっと、一番いいのだろうなーと思えたからである。

10代で妊娠・出産ときくと、すぐにそんなことしたら、人生おしまいだぜ!と自分に置き換えて考えたのである。自分は好き勝手に生きたかったから、子供を持つのは難しいだろうとはじめから諦めたのであった。が、そこにあるのは、子供を持つ=家族をもつ=父・母・子供からなる集団をつくる、という考え方にすっかりはまっていたからであった。

別に、両親がそろわなくても子供がいていいわけだし、両親どころか、血縁じゃなくたって、愛情もって育ててくれる環境があれば、それでいいのではないか。だから、妊娠しても「誰の子だ!」ってことに目くじらたてずに、「人類の子」と考えてですね、その場その場の集団で育てる・・これくらいゆるいほうがきっといいように思えてきた。そうなるとさ、「誰の女だ!」とか「俺の家族を守るぞ!」とかいう小競り合いも少なくなるし、原始的な社会をあらためて、理性と社会保障でやるってのがいいんじゃないかと思うのですが。

しかし、原始共産主義に学んだ、近代の共産主義が、結局のところ、崩壊していったのと同じように、こんなふうに理想的に考えても、人間ってやつは、わがままで、自分や自分の恋人や家族のことしか考えられない狭量な種だから、無理なのだろうか。すぐに自分のテリトリーを作りたがり、作るとそれを守りたがる・・という卑しさから逃れることはできないのだろうか。

あ、こういうこと書くと、「子供を育てるのはそんな甘いもんじゃない!」と母性に恵まれた方がから怒鳴られるから、気をつけないと。理想論ですから、ご容赦を。

でもさー、なんかそういう理想的新しいモデルがないと、近代の家族像ってもう、金属疲労起こしていると思うのだけどなあ。