山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

春嵐と春ボケ

お昼頃、テレビの仕事のうち合わせに出かける。
いろいろやることが押し詰まっており、たいへんやばい状況での久しぶりのお出かけである。毛皮のコートを着て出発するが、外はすでに春になっていた。しかもすごい風。こちらの思惑とは関係なく時間は無惨に過ぎていくのだ。タクシーに乗る前に、近所の友愛犬・ハルにあったので挨拶。気分がいい。

で、タクシーのなかで、メールみたりしていて、お金をいっさい持っていないことに気づく。あー。財布ごと忘れた。しかたないので、うち合わせ先のADさんにお願いして、会社の前で待っていてもらう。ほんとに間抜けだ。賢いADさんのおかげで無事支払いを済ませ到着。

その後、2つばかしうち合わせして帰宅。

最近、しみじみ思うのが、いかにADさんに助けられてきたかってことだ。それはたったひとりで小説を書いていると思い知る。ちょっと調べたいことや確認したいことがあった時、テレビだったら、ADさんにこれを頼むと言えばいいし、賢いひとの場合はあらかじめ資料を用意してくれる。年表を作ったり、あらすじをまとめたりもしてもらえる。また、ロケやロケハンのスケジュールやエアの予約なんかもみんなやってくれる。自分は「演出」ってやつに専念できる。

そこいくと、書き物業はこれらを全部ひとりでやらないといけないからかなり大変だ。ちょっと疑問に思ったことがあれば、それを確認しに、自分で図書館行くし、取材のエアやホテルの予約も全部自分だ。(もちろん、支払いもほとんど自分だよ)。もっと売れっ子で著名な作家は、アシスタントを雇っているのだろうけど、自分ごときはそんな余裕はないというより、今だって、持ち出しのが多いので、それは無理だ。

それで、本日など、ADさんにフォローしてもらえると、しみじみありがたく思う。仕事なんだから当然だといえばそうなんだけど、いろんな資料を作ってあったり、専門家へのインタビューのアテンドがしてあったりするとさー、うう、ありがたいねえーという気持ちになる。

かつて、ドラマを撮っているときに、「監督とは孤独なものである」と言われたし、自分もそう思ってたけど、そうでもない。監督はいろんなひとに助けられてるもん。「作家は孤独だ」ってのが正解だよなー。

といいつつ、春ぼけしているわけにはいかないのであった。