山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

うつや不安からの脱出

年下の友人が、「何があったわけでもないのに、なんとなく憂鬱である」と言っていた。仕事の意欲がなくなり、食欲もなく、漠然と疲れている。わかる、わかる、そういう気持ちと思った。

自分ももう少し若い頃は、しょっちゅうこの手の「不安」や「憂鬱」に駆り立てられ、お酒に走ってみたり、情事にはまってみたり、そのほか、いろんな物議を醸していたのであるが、最近は不安そのものが減ったように思うし、一方で、不安の抑え方も覚えたように思う。

漠然とした荒涼感に襲われることがよくあり、(いいのか、そんなんで)、特に夕方は危険であったけれども、長い人生であみだしたのは、「不安を追いかけない」「憂鬱にひたらない」という療法である。最初は漠然とした不安だったのが、その気持ちにとことんつきあっているうちに深みにはまり出られなくなったりするのだ。出るためには、強烈なことを必要とするため、事態を悪化させることがよくあった。

自分の療法としては、「今は不安だが、とりあえず、それについてはあとで考えることにして、今は別のことをしよう。まずは、洗濯でもしよう」などと、気持ちをごまかすのである。不安にとりつかれるのを禁止することはできないので、「先送り」にして、別のことをする。洗濯やアイロンかけなどは、身体も動かすし、部屋もかたづくので一挙両得であるけど、そういう前向きのことが出来ないときもある。そういうときは、風呂、ごはん、寝る、という本能に任せる方向。あとは文化に頼る。映画、本、音楽である。お金に糸目をつけず、これらにはまる。

というように、まずは気持ちをはぐらかす・・ことにしてきた。この習慣がつくと、「やばい感じ」が近づいてきたときに、さっと別の行動に移れたりするものだ。・・なんてね。こんなこと言っていてもいつぶり返すともしれないけど、とりあえず、ここ数年は平穏なのであった。

仕事もあるかな。自分の望み描いたことが、ようやく、最近できるようになったから、楽になったのかもしれない。目先の解決より、根本的解決が大切なのかな。

(ちなみに、以上はあくまで自分の経験による、不安からの脱出なので、なんの医学的根拠もありません。効かないひとがいたらごめんね)