山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

長いお別れ。

チャンドラー作、村上春樹訳の「ロンググッドバイ」を読み終わったのだけど、なかなか立ち直れない。立ち直るという言葉が的確じゃないかもしれないけど、「ロンググッドバイ」のことばかり考えてしまう。自分が今、やらなきゃいけない仕事のこととか、生活の細々したことよりも、50年近く前に書かれた小説の、もちろん架空の人物たちのあれこれについて、深く思い悩んだところで、なんの解決にもならないのだけど。でも。

最初に村上春樹さんの解説を読み、それから本文を読み、そしてまた、解説を読む。もちろん、解説に全部、説明が書いているわけではないけど、読まずにはいられない。つまりそれは、この小説にもっと浸っていたいし、この小説についてもっと話したいという気分なのだと思う。たぶん、20年くらい前に一度読んでいると思うけれど、当時はまだまだなにもわかっていないガキだったし、小説の読み方も(今よりは)甘かったから、これほどまでには思い悩むこともなかっただろうな。

手放しに賞賛しているというのではなくて、いろんなことがひっかかり、どうしてなんだ!という問いが頭のなかをぐるぐるしている。文章の申し分のなさ、構成の巧みさ、などは、そうか、小説ってこうやって書くのか・・と関心しながら読んだ。また、些末なことかもしれないけど、会話の巧みさ。けど、ホントはこんな、警句や気の利いた言い回しで話すひとなんていないよね。(当時はいたのかな)

一方で、フィリップ・マーロウみたいな口のきき方してみたくもなる。どんなに偉い相手であっても、こびることなく、相手の心にぐさっとくるセリフを吐くみたいなこと。しっかし、これは、命とりになるのだ。私は探偵でないから、偉い人に反抗的な態度をとったら、即仕事を失う世界に暮らしている。

とりとめもなく書くと、「ロンググッドバイ」の中に出てくる、ベストセラー作家(アルコール依存症で死にかけている)が、当時の出版界を嘆くシーンがあるんだけど、それって、そのまま、今と同じ。また、警部補だったが、やはり、同じようにすさんだ時代について嘆くけど、それもた、今にそのまま通用することを言ってる。これらを読むと、時代は変わっても、文明は進化しても、ひとの抱える悩みはそうそう変わらないものなのだなとしみじみ。

とはいえ。さっき、ラジオで、着メロのことをやっていて、これからは着メロの47秒という長さの音楽を作ることを目指す必要がある。メディア(=携帯)に合わせて中身をつくるんだ・・とのこと。なぜなら、ひとがもっとも聞くのは、CDではなく、携帯の着メロだからだそうで、この論理でいくと、ひとがもっとも文章を読むのは携帯メールであるから、小説もそれに合わせないと・・ということになる。それはそれでいいんだけど。

だめだ。いろんなことが頭のなかをぐるぐるして。まとまりがつかない。フィリップ・マーロウのせいだよ。
しかしな。なんともやりきれない結末だった。なぜなんだろう。