山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

東京タワーとロンググッドバイ

渋谷で映画「東京タワー」を見た。原作も読んでいないし、テレビ版も見ていないけど、大ヒット作だから、おおまかなあらすじは知っていた。あらすじがあらかじめわかっていて、しかもモデルがいることも知っていたりするのって、作品としてはふりだよね。作品そのものではなく、いろんな色眼鏡で見てしまうから。

これって、原作がベストセラーという背景がなくて見たら、どう感じただろうなあ。ずいぶん、地味なテーマを扱うんだなあって思ったかもしれない。大きな恋愛も事件もないから。けれども、主演・脚本・監督の基本的にファンだから、普通に見たかなあ。ううむ。

尽くしてくれた母親が死んでいく・・というのはそれだけで充分悲しいし、元々涙腺の弱い自分は、泣いてしまうんだけどね。けど、涙の量で作品を評価しちゃいけないし、きっと監督もそう思っているタイプの監督だと信じたい。オダギリジョーという役者さんはしみじみ達者だなあと思った。そして、急がないでシーンを淡々を重ねていく作り方が良かった。客は女性ばかりだった。

テレビの仕事が終わると、たいへん、スケジュールが楽で嬉しい。いや、同じように働いているけど、個人作業だから、締め切りまでに仕上げればいいから、自由で嬉しい。すぐに映画見たり、本読んだりに走るから、ほどほどで仕事に戻らないといけないんだけどね。

世間はもうすぐ連休かあ。話を蒸し返すけど、昨日まで繰り返し書いてた「ロンググッドバイ」でずっと気になっていたことを書いておく。この小説は、テリー・レノックスの妻が無惨な殺され方をするところから始まる。この女性は、たいへんな美貌の持ち主であり、父親は大富豪である。にもかかわらず、身持ちが悪くて、淫乱で結婚しているのに、毎夜遊び歩いている。そして、誰かに殺される。このとき、主人公やその周辺のひとたちが、一様に「殺されても仕方ない女」っていうのよね。冷静に考えると、「ひどい!」と思うのは私だけでしょうか。これが億万長者の子息で女ったらしだったら、「殺されても当然」って言われるのかしら。
ずっと気になっていたのはこの前提だった。書いてすっきりした。けど、この小説、ここからスタートしているんだよね。「殺されて当然の女が殺された」ところから・・。

「東京タワー」と全然関係なくて失礼。