山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

殺人の動機

仕事の参考資料として、映画「八つ墓村」(監督 市川昆、96年製作)を見た。

この手のおどろおどろしいものは怖いので、あんまり見たことがない。ミステリーやサスペンスは基本的に苦手だし、特別な機会がないと見ない。けれども、じっくり見たら思ったほど怖くなかった。たたりやお化けを信じずに、単なる殺人事件として見れば、そんなに怖くないものだ。(それとも知らないうちに、強くなったのか。リアリストになったのか)

あまりにも有名な映画だから、内容を知っているひとも多いと思うけど、八人のひとが殺されるわけである。400年前の落ち武者の呪いとか、26年前の凄惨な事件の後遺症とかいろいろ、想像力をかきたたせる筋書きになっているのだけど、犯人がわかってみると、殺人の動機は、遺産相続争いととげられなかった恋心が起こさせたものだとわかる。

ううむ。そこで立ち止まるのであった。事件ものが苦手なのって、犯人がわかっても、たいてい動機そのほかに納得がいかないからかもしれない。殺し方のトリックなどには、ほとんど興味がないけど、殺人の動機には興味はある。ひとがひとを殺める理由は知りたいと思う。けれども、なかなか納得いかないよなあ。「お金がほしかった」という理由だと多くのひとは納得するのだろうか。殺さなければ自分が殺されるような極限状況は理解できるけど、そんな状況ばかりでは、ドラマにならないし。

とはいえ、自分も事件ものの脚本書いてるんだけどね。(もうすぐオンエアだ)。事件を書くとき、どうしても動機が気になってしまう。殺すほとの動機ってなんだろうと。「あんなやつ、死んでしまえ」と考えることもあるけど、たいてい、そういう思いは長続きしない。すぐに忘れてしまう。そんなことを情熱的に思っていられるほど、ひとを深く憎んだことがないからだろうか。そんなのフツウか。ううむ。このような理屈っぽさで、ミステリーを読んだり、見たりしてはいけないのよね。

そんなわけで、今夜も支離滅裂でした。最近、ミステリー小説も読むんですけれどもね。