山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

バベルに思うこと。

日比谷で映画「バベル」を見た。

ひとつの銃弾によって、世界各地でいろんなことが起こる・・という物語である。モロッコの砂漠のなかで、何気なく発砲された銃弾が、アメリカ~メキシコ~日本とつながり、それぞれの場所で新たな展開を生む。
同じような構成だと「クラッシュ」があるけど、正直いって、「クラッシュ」のが数倍、よく出来ているし、感動的だった。

「バベル」は、「企画会議の様子が見える」映画である。あるいは、脚本家、制作者の考えがすけてみえる。
「ひとつの銃弾が巻き起こす」悲喜劇・・というモチーフがあり、それを成立させるためのあれこれを、考えて作った・・というのがわかってしまう。特に、アメリカ~メキシコで起こる出来事はちょっと無理があるように思った。わざと事件らしくしてしまったきらいがある。一方で、日本のほうも、べつの方向で無理がある。菊池凛子さんは、芝居の達者な女優さんだと思うけど、菊池さん演じるチエコのありようが、どうも納得がいかなかった。日本で女子高生であることは、世界からみたら、まったくもって絶望的なものなのだろうし、(事実、日本で女子高生であることは、ほんとにうんざりさせられることの連続だろうと思う)。それに、聾唖という障害も加わって、彼女がますますうんざりしながら生きている感じはわかる。けど、それと、モロッコの銃弾はつながっているのだろうか。

もちろん、事実(映画のなかの事実)としては、つながってはいるのだけど、そのこと自体と彼女の絶望は、また、べつの物語のように思えた。(日本って国は、世界にまれに見る、ロリコン&女性蔑視の国であることは、海外ロケに行くたびに確認することだし、そのことに日本の多くの男性はまったくもって気づいていない。)

話をバベルに戻す。なかで一番、胸を打たれたのは、ブラッド・ピット演じるアメリカ人観光客が、救助に来たヘリに乗り込むシーンである。ブラピ演じる男は、妻が撃たれ、救援を待つ間、観光ガイドの家で世話になる。だから、そこを去るとき、そのガイドに、ドル札をお礼として渡そうとするのだ。感謝の気持ちとして。しかし、ガイドはそれを断る。そこにこの映画の発端をみたような気がした。

きっかけとなるライフルはもともと、モロッコにあったものではないのだ。やはり、世話になったお礼として、日本人のハンターがガイドにプレゼントしたものだった。悪意ではなく善意でしたことが、大きな災厄を生んでしまう。黒澤明監督の「デルス・ウザーラ」とちょっと似ている。ひるがって、このような相手の状況を理解しない善意が、世界中でやっかいなことを起こしているのかもしれない。自分たちの国の真実が、相手の国にとっても正義かどうかはわからないのだ。ブラピが不用意に差し出したドル札が、そのガイドの運命を変えてしまうのかもしれない。そこで、札束を断るガイドの人格に、希望を見た。アメリカや日本のスタンダードが世界のスタンダードじゃないよ、そういうことを理解し合おうよね、というのが、テーマだろうか。

だとすると、なおさら、日本の聾唖の女子高生の絶望がわからない。自分が日本人であるだけに、なおさら気になったのかもしれない。日本では女子高生は、昼間からクスリをやって、セックスのことしか考えられず、母親は自殺するのだ。父親はそれらに気づかずに、働き続ける・・ということ?まあ、それほどまちがってないのかな。それがこの監督の日本理解なのかな。

なんだか後味の悪い映画だった。