先日、「若きウエイテルの悩み」(BY ゲーテ)読みました。
途中で寝た日もありましたが、あくまでも風邪のせいで、いやあ、面白かったし、良くできているお話でした。やっと好きなひとができたら、その人はすでに婚約中で、でも友達として仲良くしてくれて、次第にその婚約者とも友達になる。が、心のなかで、そのひとを思う気持ちは強くなるばかり。というお話ですね。最後に一度だけキスして、自殺する…。
これって、現代風に書き直しても充分いけるよなあ。当時の大ベストセラーだったわけですが、今のベストセラーと大筋変わっていないかもしれない。
ひととは、こういうお話に感動し、涙してきたのだなあ、と。で、なんで「ウエルテル」を読んだかというと、長い間この小説に対して、誤解があったかもしれないのでした。高校生のときに読んで、いろいろ複雑に考えていたのですが、それが誤読であったかもしれないと、おとなになって、物書きになってやっとこわかってきて。おはずかしい限りです。
それと、ここのところ「カラーマゾフ」読んでますけど、これも面白いなあ。新訳だからなおさら読みやすいし。光文社の文庫だと5冊あるし、それぞれがちょっとした国語事典くらいの厚さなので、初見のひとは、「これ、全部読むのに時間かかりそー」と思うかも知れませんが、いえいえ、時間があれば、一日一冊は軽く可能です。セリフ(一人語り)が多いし、流れるように進みますから。これ、今、ベストセラーになってるけど、ううむ、古典ってやつもさー、翻訳をもっと読みやすくすれば、もっとどんどん売れるんじゃないかな。
「カラマーゾフ」とか「ウエルテル」を読んでいると、もう全部書かれているなという気がしてくる。そうだった、学生のころ、小説家なんて諦めようと思った最大の理由は、すでに全部書かれている…という気持ちになったからでした。自分などが書く余地なし、と。ところがさー、古典から離れて、現代のものを読むようになると、「むむむ、これが本になるなら;あっしだって」とか「ううむ、まだまだ書かれていないことがあるぞな」とか思うのだった。
そんなわけで、夏はやっぱり読書でしょー。(あ、海もいいけどさ)。クーラーの効いた部屋か、気持ちのいい風の吹く木陰で(そんなところで本読んだことないけど)、本読む幸せってあるよねえ。近くに電子辞書と紅茶と鉛筆とポストイットを準備。足下には、最愛の犬。しあわせってこういうシーンを言うのだ。