山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「グミ・チョコレート・パイン」

明日(2月1日)までということで、あわてて、「グミ・チョコレート・パイン」(ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督)をテアトル新宿まで見にいく。

とある仕事で、今日から一日2~3本くらい映画を見ているんだけど、続けて見るといろいろ感じることがあるなー。リドリースコット監督が、「映画とは、その監督の世界観を描くものだ」と言ってたって、友人の映画好きから聞いたことがあって、なるほど、と思う。

自分は、ウエルメイドの作品より、作ったひとの(要するに監督の)手触りとか、息づかいとか、そのひとにしか撮れない空気のある作品が好きだ。テレビドラマは、ウエルメイドをめざすものだし、その回ごとに、テイストがあまりにちがってはいけないメディアだと思うけど、映画はちがっていてほしい。映画は監督名で見たい。誰が出てるかより、誰が撮ったかが選択の理由になるようであってほしい。と時代にたぶん逆行してるけど、そう思う。

前置きが長くなった。そう言う意味でいうと、「グミ・チョコレート・パイン」はまさしく監督の匂いのする映画だった。この監督にしか撮れない匂いがぷんぷんした。物語は現在と、主人公が高校生だった20数年前とを行き来して進行する。主人公の男は、高校生の時もそして、今も圧倒的にサエない。冴えないけど、正直でまっすぐで、嘘がない。青春映画にありがちな、「汚れなき輝きの十代」と「堕落しちゃった今」という安易な比較はない。今も昔もさえないのだ。

そこらへんの、どうしようもなさが、徹底的に描かれていて面白かった。いわゆる昭和を描いているんだけど、(1980年代か)、ノスタルジーに頼った、安易な涙を流すシーンはひとつもない。いくらでも、涙を誘うシーンを作れたと思うけど、そうはさせない心意気を感じだ。

だって、だいたい、十代ってそんなきれい事だった?古くは橋本治が「桃尻娘」の解説で言ってたけど、青春とは猥雑なものであると。そうだよなー。自分も思い出したくもない、うんざりする十代。女子だからといって、バラの花なんか咲いてない。そこらへんの抜け目なさが好き。

しっかしなー。男に生まれて、十代を過ごすのはたいへんなんだろうなーとしみじみ思った。自分は女側で十代を過ごしてきて、それはそれなりに面倒がいっぱいあったけど、男子の場合、なんたって、性欲に強く支配される…というのが、同情する。そこをこの映画はしつこいほど(笑)、描いている。

ということで、本日このほか見たのは、dvdにて、「渋谷円山町」、「プルコギ」でした。

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