山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

指の匂い

もう、これ以上、カナが亡くなったことを書いたり、写真をアップさせるのをやめようと思う。
死を悲しみすぎるときにともなう、なにかに崩れるような負けるような、いっそ甘美な方向にいってしまうのを、避けたい。といいつつ、葬儀の経過。大型犬はどのように葬られるのか、知りたいひともいると思うし、私も初めての体験だったので。



午後1時半。動物の火葬をしてくれるお寺の方が、大きな白い段ボールを持って、自宅にやってくる。段ボールを組み立て、カナが普段使っていたバスタオル2枚を敷き、その上にカナを安置。さらに、ユニクロで買ったフリースの膝掛け(この冬、小説を書くときにずっと私が使っていたもの)をかけて上げる。お寺のひとが、その他、カナの好物などを入れるようにというので、好きだったクリームリーズとビーフジャーキーを入れる。首輪やオモチャをいれるひともいるそうだが、うちにはミニもいるし、まだ使えるものを焼くのもどうかと思い、とどまる。さらに百合の花などを添える。ここらへんは人間の場合とほとんど同じだ。ただし、お経などはない。



段ボールのフタを閉じて、ガムテープでとめ、迎えの車(黒塗り)に、カナとともに乗る。お寺は品川の先にあり、車でうちから20分くらいか。この頃から小雨降り始める。ミニも一緒に乗せていく。

お寺は動物葬もやっているところで、カナが通っていた病院の紹介による。ネットで調べると、もっと近く(麻布十番)にも、似たようなところがあったけど、なんとなくこっちに。歴史が古かったので。

お寺の地下にペットの納骨堂があり、その先に焼き場がある。人間よりずっと小さな焼却炉である。
段ボールのフタが開けられ、お線香をあげて、最後のお別れをする。カナはさわると、すっかり冷たく、固くなっている。でも、イヤな匂いはしないし、顔が穏やかで眠っているようなので、つい、「起きて!」と言いたくなる。寝ているだけなら、まだ、間に合うぞ…と思ったりする。しかし、目覚めるはずもなく、係の方の手によって、焼却炉の入っていく。

焼かれる時間は1時間半くらいだったか。ぺっとの納骨堂内にある待合室で待つ。少し納骨堂を見学する。たくさんの犬や猫たちが葬られている。うさぎもいた。時間が来て、先ほどの焼き場に戻る。
骨壺にカナの骨を収める。係の方によると、カナは骨がしっかりしているそうで、頭の形や爪や歯がちゃんと残っていた。爪と歯がいかにもカナっぽかったので、骨壺にはいれずに、手のひらにおいて、ポケットにいれて、持ち帰る。乗ってきた車で家に送ってもらい、すべて終わった。2時間半くらいの出来事だった。費用は5万円ぐらいだった。



部屋に安置したところ。いずれ、この袋(いかにもって感じだから)をやめて、もっとカワイイ布で袋をつくっていれようと思う。お線香はしない。



カナを失いうなだれる娘のミニ。

昔読んだ、村上春樹さんの小説に、ふとした瞬間に左手の指(どの指だったか忘れたけど)を嗅ぐ女性の話がある。なぜ、そんな癖があるのかと主人公に問われて、その女性は、飼っていた犬のことを話す。とても好きだった犬が死んで、その遺体を庭に埋めた。埋めたあとに、どうしても会いたくなり、掘り起こしてみた。そして、そっと犬に触れた。ところが、すでに犬の身体は腐敗を始めていたのか、強烈な匂いがして、しばらく、犬に触れた左手にその匂いが残った。大好きな犬だったのに、その匂いは耐えられないくらい臭くて、なかなか匂いが消えずに、なんども手を鼻にもっていく習慣がついた…というようなお話だったと思う。

この小説の記憶があったので、カナに触れたあと、何度も自分の手の匂いを嗅いだ。でも、カナはちっとも臭くなくて、なんの匂いも移っていなかった。いっそ、臭い方がいいなーと思った。生死の境をさまよっているとき、何度も肛門そのほかを赤ちゃんシートで拭いていたので、その頃は手に、かなりの匂いがついていて、臭いんだけど、その臭さがカナの生きている証のような気がして、匂いさえも愛しかった。

そういうわけで、カナのことばかり考えないようにする。動物みたいにすっきり忘れるのだ。死は死でしかない。過剰に思い入れをするのは嫌いだ。涙に酔うのはもっと嫌いだ。それはずっとずっと自分に禁じてきたことだし、愛する者の死を涙でおおう小説を嫌ってきたのだから。(っていうか、ずっと悲しんでいると、精神に異常きたしそうで、正直怖い。)

サヨラナ、カナ。