山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ちがう話。

今、「すべては海になる」映画用の脚本を書いています。昨夏、一度完成したんだけど、年月が過ぎたし、いざ、撮影となると、いじりたくなり。

時間がたつと書いたひとと自分が別人になっている。へえ、こういう展開にしているんだ…とすっかり忘れているのだった。当初は、原作を書いたのが自分なので、原作者にひっぱられて、原作に忠実な脚本になっていた。一年たって、ひとからイロイロ言われて、気分が変わった。もう、イチから書き直している。ちがう話になるかもしれない。でも、ちがう話でもハートは同じならいいじゃないか。こういう場合、原作者の意向ってもんが出てくるけど、その点、心配はない。なんたって、私自身が原作者なんだから。

こうなってくると、中途半端に原作があることが邪魔になってくる。もっと自由に自分が書きたいままに書きたくなる。原作というか小説は小説で書きたいままに書いたのであって、それを踏襲して脚本をつくるより、自分が撮りたいものに合わせて、原作のよきところを生かせばいい。

と、わかったように書いているけど、この境地に達するまでに、結構時間かかった。いろんな本をかじり読みしたり、DVD見たり、テーマの近いサイトへ行ったり。で、どうしたいの?なにが撮りたいの?ってことを、考えに考えて、途中で寝たり、途中で「Lの世界」シーズン4を見て、おお、シェーンのセミヌードにしびれたり、関係ないことをしていた。一見、さぼっているひと、遊んでいるひとに見える。いや、事実か。でも、そういう時間がないとできなくて。

この世には、さっさと次々に書けるひともいるんだろうし、いや、自分だって、ある種の仕事の時には、ものすごくテキパキとこなし、一部では、「仕事の早い山田さん」と言われているのだ。テレビドラマの脚本とか、教養番組とかは早いですよ。(と、営業)。

まあ、なんかさー、迷ったり、考えたりの結果ですから、しょうがないです。こうやって、ぐるぐるしながら、年を重ねていくんだろうなー。たまに劇的な出来事もあるだろうけど、普段は、こんな感じで。でも、なんか、作るの好きだからさーこればかりはしかたないね。

と、言い訳めいた内容で失礼。

余談:元厚生労働省の次官の方々が殺された事件で、犯人を名乗るひとが出頭した模様。どこかの目撃証言で、「年齢30歳くらい」って出てなかったっけ?実際は、46歳らしい。本筋ではないが、これは、どう解釈する?「若くみえるひとであった?」あるいは、目撃証言というのも、これくらいの幅があるってこと?なんか、気になったので。あと、動機のひとつが「自分のペットが殺された」って。ううむ。「年金」関係ないじゃん。なんだかなー。余談、あくまで余談でした。これは、あくまで報道を見ての感想で、殺人を容認するものでも、被害者を愚弄するものでもありません。確認までに。