山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

壁の前にてたたずむひとよ。

春のように暖かい、不思議な一日。

冬をひとやすみ…みたいなことかな。ここらで一服してくれたまえ…とか。

一日家にいて、書き物仕事に励む。首の治療は寝過ごした。久しぶりにホットケーキを焼いて、朝ご飯にした。…といっても、夕方、食べたのだけど…。真夜中、犬と散歩にいくと、本当に暖かい。真冬の真夜中仕様のつもりでフリースにダウン着てきたら、汗ばむほど。そのせいか否か、普段より、真夜中なのに、歩きまわっているひとが多かった。

ずっと書いていると、書いている世界の外では、書くほどの事件は起こらない。じっとしているうちに、パソコンの前にいるうちに、一日が過ぎていく。食べ物も冷蔵庫にあるものを組み合わせて作って食べて、手早く終わらせるし。なにも起こらない。だから、気分も穏やかになる。

ポール・オースターの新作「幻影の書」を読んでいる。書き出しから面白い。失踪中の映画監督のお話だ。「フリッカーあるいは、映画の魔」という長い小説をちょっと思い出した。

けど、しみじみ、映画と小説は違う。小説の自由さを自分は愛するし、小説を書くのが好きだけど、映画になると、途端に、言葉で説明しないことの難しさを感じてしまう。というより、どうにも言葉に頼ってしまう。それもそのはずだよね。言葉だけで世界を作る小説が好きなんだから。

でも、映画も好きなんだけど。言葉ではなくて、言葉を伝えることの難しさよ。おー。「Lの世界」のなかで、レズビアンをモデルにした小説で一躍売れっ子になったジェニーは、さっそく、自作が映画化されることになり、脚本も書くことになる。ところが、監督やプロデューサーから、「お話にならない脚本」と言われ、クビになってしまう。「小説家としてはプロかもしれないけど、脚本はダメね」と言われて。

ううむ。そうなんだよなー。脚本と小説って全然違うんだよなあ。同じ言葉を使っているし、ドラマを伝える手段でもあるから、一見、似たように見えるけど、ちがう。脚本は設計図だからね。小説は、完成品だし。

と、自分の悩みをくだくだ書いてしまいました。

どうやったら、壁を越えられるかなあ。