山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

夢と欲

日本競馬界に燦然と輝く社台グループの創設者、吉田善哉さんの伝記「血と知と地」を読んでいる。

なかで、面白いなーと思った下りが。善哉氏と伝記の作者の会話。

「人は夢という言葉を使うのが好きだがね、夢という言葉くらい、いいかげんな言葉はないね」
「中略…私は夢を持たないね。夢というと、たいていは、いい夢と考えるがね、実際は悪くころがって身動きがとれなくなるものだ」
「夢がダメとなると、何を持ったらいいんでしょうかね」
「欲だよ」
「夢と欲じゃ、大違いだ。わたしははっきり区別してるね。この二つをごっちゃにしちゃダメだ」

なんか、鋭いな~と思った。私も「夢」という言葉は苦手だ。以前、古くからの知り合いに、
「作家になって、夢を実現したんですね」と言われたことがある。なんとも居心地の悪い思いをした。確かに、作家になりたい…というか、小説を本にしたいと思っていたけど、「作家になるのが夢でした」なんていうと、たいへん、恥ずかしい気持ちになる。もっと本を出したかったのだ…というとしっくりくる。自分には、夢より欲のが似合っている。

しかし、夢と欲の違いってなんだろう。吉田氏は「大違いだ」と言っているけれど、どこがどうちがうのだろう。世の中のためになることであれば、夢なのか?そうでもないよね。

宇宙飛行士になるのが夢でした…というのと、宇宙飛行士になりたいという欲がありました…というのでは、なにが違うの。聞く側の印象は違うけれども、語る側の気持ちはあんまり変わらないのではないかしら。

が、しかし。昨今のグローバリズムってやつは、すべてを“欲”で貫いた結果が招いたことかもしれない。その発展のなかでは、「夢を実現する」というフレーズは繰り返し使われたと思う。なんたって、「アメリカン・ドリーム」っていうもんね。「アメリカン・ディザイアー」ではなく。

夢という言葉で、欲望をくるんで、上手に商売する…ってのがイヤだな。だったら最初から、包装紙なしでゆきたいよなー。っていうか、この不況って、夢という包装紙がすっかりはがれて、欲望剥き出しになったってことかもしれない。

ってなことを考えた。しかし、欲ではなく夢と言い換えるほうがいいのかな。せめて希望の匂いが感じられるほうが?

いくら不況になっても、ひとびとは口当たりのいい言葉が好きだもんね。それが真実じゃなくてもさ。…と今更嘆いてもしかたないのですが。