山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「レボリューショナリー・ロード」

今日は、六本木で、映画「レボリューショナリー・ロード」を見て来た。

主演は、「タイタニック」でも共演した、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットのふたりで、監督は、「アメリカン・ビューティー」のサム・メンデスだっ。「タイタニック」には、あまり興味ないけど、「アメリカン・ビューティー」は大好きな映画だし、(サム・メンデスの作品は日本で手に入るものは全部見ている)、原作小説「家族の終わりに」も、面白かったし、好きな作品なので、早く見たかった。

原作を読んだ時の感想については、過去に二回書いている。11月4日に、読後の感想、10月2日に、本を手にしたときの感想を書いた。とりあえず、原作の話はさておき。

映画は、原作にかなり忠実だったので、あらかじめストーリーは知っているとはいえ、いや~目が離せず、面白かった。面白かった…という言葉はあまりあてはまらない。辛らつで救いのない映画だからだ。秀逸な作品。それは原作も同じだ。

(以下、ネタばれありです)

まず、舞台は、1955年のアメリカ。レオナルド・ディカプリオ演じる主人公は、マンハッタンにある企業に勤めている。住まいは、ニューヨークの郊外で、「レボリューショナリー・ロード」と呼ばれる閑静な住宅街に、白壁のセンスのいい一軒家を持っている。ケイト演じる妻は、郊外の典型的な専業主婦である。50年代のアメリカの中流の理想的な家族。しかし、妻も夫も、今の暮らしにどことなく不満を持っている。夫は、今の仕事をつまらないと思っている。かといって、打開する具体的なアイデアもなければ、努力する気力もない。秘書と浮気する程度でやりすごしている。

かつて女優を夢見た妻は、現状打破のために、市民劇団に入って舞台に出る。が、できは散々で、かえって落ち込むことになる。そこで、提案されるのが、「パリに移住しよう」というアイデア。夫は会社をやめ、家族でパリに移住し、貯金で暮らすことにする、そして、ふたりとも、今後、どういう人生をいきたいのか、考える時間を作る。提案したのは妻だ。

結局、いろんな事が起こり、パリ行きは中止になる。が、夫婦の間に生まれた亀裂は広がるばかり…という内容である。何不自由ない生活のはずなのに、満たされない中産階級の夫婦の焦燥についての物語だ。この他にも同じくレボリューショナリー・ロードに暮らす二組の夫婦が出てくる。一組はすでに中年で、妻は不動産業を営み、息子は精神をわずらっている。夫は、妻の話をほとんど聞いていない。もう一組は、主人公の夫婦と同年代で、夫は、密かに友人の妻(ケイト)に恋をしており、妻はそのことに気づいていない。どちらも一見、うまくいっている普通の夫婦に見えるが、そうでもないということは観客にはわかる。

この映画のように、とりたてて不幸の種はないはずなのに、満たされない思いというのを描くのは、わたしは好きだけど、たぶん、今の日本ではほとんど理解されず、ヒットしないだろう。前作、「アメリカン・ビューティー」ほどの強烈さがないし、不況の今、満足に仕事もなく、家もないひとが多いのに、「なに、不満いってんだよ」ってことになるだろう。実際、昨日が初日なのに、日曜日の今日、客席は、6割くらいしかうまっていなかった。はずれは、確実っぽい。(アカデミー賞とれば別かもしれないけど)。

いや~、今の日本では救いのない話はヒットしないってことか。「ダークナイト」もダメだったみたいだし、「簡単に泣けるもの、いいひとばかりでてくるもの」じゃないとダメなんでしょうかね。

一見なに不自由なく見えても、ひとの心に巣くう苛立ちや満たされない気持ち…なぜ、そうなったのか、打開する方法はあるのか…を考えるのは、とても興味深い。満たされない専業主婦は、なにをしたかったのか。本当はパリでもなんでもよかったのだ。現状を変えるきっかけになれば。果たして、パリに行ったからといって、変わることができたとも思えないし。

じゃあ、どうしたら良かったのだろう。

自分も長い人生、常にたいてい、「このままじゃダメだ」と思っている。ずっと思い続けて、現状打破するために、いろいろやって来た気がする。十代のときだって、そう思っていたし、二十代も三十代も。そして、ひとつクリアすると、次がやってきて、キリがないのだ。いつまでたっても、「このままじゃダメ」感は消えない。

…と書いてから、そうでもないか…とも思えてきた。最近、少し消えた。相変わらず、「このままじゃダメ」なんだけど、「よくやったな」と思えるところは思うことにして、昔よりいたずらに苦しむ感じはなくなったかな。年をとるってそういうことだよ、と言われたらそうだけど。あと、限界を知ることができるようになったのかな。

この映画の主人公たちは、30歳前後である。まだ、大きくやり直しのきく年代だ。だから、「最後のチャンス」と思って、苦しむのだと思う。しょうがないよね、そういうもんだ…と思う。

主人公の夫婦は不幸な(と言い切れるのかわからないけど)結末を迎えるけど、ごまかしながら、そこそこの夫婦関係を続けていく生き残った二組の夫婦より、自分は好きだ。たとえ、破滅が待っていても、自分の真情に正直に生きるほうがいい。ごまかしながら生きる中年夫婦の精神を病んだ息子だけが、主人公夫婦の「やるせなさ」を理解する。つまり、自分の真情に正直に生きるってことは、精神を病むことと同じなのか?そういう問いかけのセリフも出てくる。

わかる、わかるよ。自分の真情に正直に生きようとすると、人生がたいへんになるのは事実だ。仕事も結婚も。この映画の時代設定は、1955年だけど、2009年の今もさして息苦しさは変わらない。主人公の妻のように、「もっと別の人生があったのではないか」と自分に問いかけ続けている主婦もいるだろう。ただ、50年前と違って、やり直しができやすくなった。中絶も出来るし、離婚もそれほどの悪ではない。選択肢は手に入ったのだ。だからといって、楽になったかどうかはわからない。社会に責任をとってもらうわけにいかなくなった分、きついかもしれない。

「あなたが今、不幸なのは、あなた自身が招いたことだ。なぜなら、時代は自由であり、あなたが女優になりたければ、30歳でも子持ちでも、チャンスはある。夢を叶えられないとすれば、あなた自身に問題があったのだ」ってことになってしまう。これはこれで最高にきついよね。

「何ものかにならなくてはいけない」「努力すれば夢は必ず叶う」という80年代以降の強烈なテーマは、成功しなかった人間に強烈な仕返しをする。が、今はもう、この神話、解体しているよね。なにものかになれるひとばかりでなく、なれたとしても永遠でないんだから。

…ということで、とても重層的に楽しめる作品だった。…空いていて良かったけど、こういう映画が当たらない…という日本の現状を考えると苦しいのだった。