山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

老いについて。

数日前から、ドレス・レッシングの「夕映えの道」を読んでいる。

主人公は、40代と思われる、ファッション雑誌の編集者。自分の服装がイケてることがこの世で一番大切と思ってきたような女性である。彼女は、夫に先立たれ、ひとりぼっちになる。その頃、近所に住む90代のおばあさんと知りあう。まるで「魔女」のようなおばあさんだ。

このおばあさんと主人公との関わりをメインに物語りが進んでいく。このおばあさん、想像されるような、「賢さ」や「尊敬に値する年のとりかた」はまったくしていない。多くの物語は、「かっこいい老い方」を描くことにさかれるけれども、実際、そんな物語にとって都合のいい老い方、あるいは、若い人間にとって、「こうあってほしい老い方」ができるひとは希である。どっちを描くのがいいのか悪いのかは別として、自分は、現実に即した、人間の負の面も内包した描き方が好きである。わかりやすい、尊敬に値する、「魔女」のようなお婆さんを描かれても、おとぎ話としか読めない。

「夕映えの道」に出てくるおばあさんは、とことん惨めだ。お金もなく、能力もなく、助けてくれるひともない。いや、公的機関から、ボランティアが訪れたり、介護施設への入所を勧めるひとが来たりはする。が、がんこ者のおばあさんは、誰も受け入れない。結果、すえた匂いのするボロボロのアパートで、満足に洗濯もしていない服を着て、ギリギリの生活をしている。そんなときに、主人公と出会うのである。

主人公はなぜか、このおばあさんが気になり始め、彼女の部屋に通うようになる。汚れたカップで一緒にお茶を飲んだり、汚物まみれの下着を脱がせて、お風呂に入れてあげたり。客観的に見て、かなり献身的に、世話をするというのに、おばあさんからはそれほど、感謝されない。訪れる日程がずれたりすると途端に機嫌が悪くなるし、おばあさんが話すのは、過去への愚痴ばかりである。

ああ、「老い」はちっとも美しくない。みじめで、残酷である。その姿をドレス・レッシングはあますところなく、描いていく。主人公もちっとも、「できたひと」ではない。そのだめなふたりの、交流。まだ、読んでいる途中なので、言い切れないけど、このように現実をあぶり出すように描くことで、ひとつは、「女性の人生」を描くことになっているのだ。女性の一生とはなんであろうかと。仕事や結婚や、老いとは。

偶然だけど、先日見た映画「グラントリノ」は、正反対の立場から「老い」を描いたものだ。主人公のクリント・イーストウッド演じるおじいさんは、頑固で、嫌われ者で、差別主義者だけど、最後に、人生を大逆転させるほどの、「かっこいい死に方」をする。ある種の憧れの死に方だろう。これはこれで、美しいし、よくできていると思うけれども、やはりおとぎ話である。自分が描いていきたいのは、きっと「夕映えの道」の方向だ。

が、どちらの老いも、「実の子供」との関係が希薄であることは、共通している。双方とも、心を通わせるのは、「近所の他人」なのである。子供たちは、無縁なのだ。ここらへんは、まったくリアルだなあーと思う。「グラントリノ」に出てくる、主人公の子供や孫たちは、「おじいさんの死後、手に入る予定の物やお金」にもっとも注目する。ほんと、リアル。自分の家族のある種の情景がまったく重なった(笑)。

ということで、撮影時のフラッシュバックも多少収まり、静かな時間を過ごしている。…とかっこつけているわけにいかなくて、ゲラ直しに追われている。その後も、幸福なことに、いろんな仕事の依頼がある。仕事を頼まれる、仕事が続く…ということが、評価なのだ…と思って、気持ちをなだめている。現場での闘いだけがすべてじゃないよね。

次でとりもどす。……あ、「老い」とは関係ないこと書いちゃった。つい。これ以上は語らず。唇寒し。