山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「お買いもの中毒な私」・「この自由な世界で」

仕事が早く終わったので、六本木で、映画「お買いもの中毒な私」を見て来ました。「プラダを着た悪魔」「セックスアンドザシティー」「ブリジット・ジョーンズの日記」のラインに位置する作品。(完成度ではなくて、主要ターゲットの問題)。

料金が1000円だったせいか、劇場はほぼ満席だった。ほとんどが若い女性客でたまにカップルがいる感じだった。まあ、女子はお買い物好きが多いから、このタイトルだと、ちょっと見たくなるよね。自分もそうだし。内容的には、ううむ、明るく楽しくテンポいいけど、実はなにひとつ、本質を描いてないかもね。

なんで、「お買いもの中毒」になってしまうのか。どうやったらそこから抜け出せるのか。コメディだからしょうがないかもしれないけど。それとも、主人公の中毒ぶりはまだ、抜け出せるレベルだったのかもしれない。いーや、ちゃんと中毒から抜け出すための自助グループも出てくるし、実際、そのグループの助けもあって、抜け出すことができたんだから、前言撤回、案外、リアルに描いている映画なんだろうか。

でも、なんか、すべては予定調和だったなー。いいのかなー。一度書いただけのコラムで、ものすごく認められちゃうし。そんなに文才あるなら、今まで、どーしてそれが発揮できなかったの?物語には、それまでその世界を全く知らなかったひとが、思いつきでやったことが大ヒットしてしまう…という痛快さを楽しむものが結構あるけど、こういう展開は、ぎりぎりだと思う。それを快挙!と思えるか、「ありえねえ」って思えるかは、脚本の力かな?この映画ではリアリティなかったなー。

あ、でも、元祖お買い物中毒の中村うさぎさんは、その文才で借金を返しているのだから、あながち嘘でもないのか。

それで、帰宅後、dvdでケン・ローチ監督の「この自由な世界で」を見る。舞台は現代のロンドン、移民に仕事をあっせんする33歳のシングルマザーのお話。自分も搾取される存在だから、はじめは、仕事のない移民のために働こうとする。ところが次第に、ピンはねすることで儲けることを覚えて、結局、自分がかつてされたことを移民にするようになっていく。リアルで辛らつな話。泣けるクライマックスもなければ、心ふるえる感動もない。でも、すごくよくできている。やっぱり、自分はこっちのタイプの映画のが好きだ。

現在、最後の編集中なので、どういう方向で微調整するかにとても迷うのだ。少しでも見やすくすべきか、それとも、多少、「わからん」と思うひとが出ても、辛らつなまま通すか…これ、重大な問題でした。…まあ、結論は出ているんだけどね。

けど、時々、わからなくなる。自分も日々、迷って悩んで生きているので、ものすごくリアルな問題だけを残されるより、ちょっと夢を見られるような結末がほしかったりもする。映画でも文章でも。自分もじっさいは、弱っちぃからなあ。

日々、揺れながら、仕事しています。クリント・イーストウッドみたいに、がんばって、生涯作り続けて、考え続けよう。そう考えたら、先はまだ長いよ。映画もこれからだよ、自分にとっては。