山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

もうなにもほしくない。

はっと気づくと五月最後の日。

今日は日曜だったけど、編集に行った。で、終日、働いた。ところで、映画以外の話をする。
よく読んでいるサイトで、自動車産業批判めいた記事を読んだ。今、アメリカも日本も新車が売れなくなり、それが国レベルの不況を引き起こしているという。が、そもそも、本当にそんなに車が必要だったのか…という問いかけが、その記事ではなされていた。

アメリカでは車を売るために、車会社が鉄道会社を吸収し、倒産に追い込み、鉄道が発達するのを防いだ。それによって、車がなければ、生活できない社会環境ができた。それで、車は売れ続けた。日本でも、車産業を発達させるために、高速道路をどんどん作った。さらに、次々とモデルチェンジして、車を短い期間で買い換えないといけないような空気を作った。この、次々と買い換えないといけない…と思わせる手法は、洋服でも同じだという。

それに対して、no!と言おうというのが、その記事の主旨だった。実際、すでに車は売れなくなり、服も、一時のブランドブームは去った。no!というひとが増えてきた…とも言える。(不況で無駄なものにお金を使えなくなったこともあるけど)。確かに、まだ、乗れる車を買い換えないといけない脅迫観念、流行遅れの服を着ることを恥と感じさせるような状況は、決していいもんじゃない。まったくだと思う。

車を短期間で買い換えないといけないと思わせるのはよくないと思うし、一度買ったら、長く使えるほうがいいに決まっている。だんだんそういう傾向になっていると思う。が、ちょっとだけこう思ったのだ。次々とフルモデルチェンジする車、毎年、デザインの傾向を変えるファッション、無駄と言えば無駄だ。けど、そこには、「次のデザイン」を考えるひと、「新しい機能」を考えるひと、そういうひとが必ずいて、彼らにとって、「次のもの」を考えることは、喜びだったはずだ。

どっかで、人間は、無駄か有益かだけでなく、次を目指す、新しいものを考え出そうとする、本質みたいなものがあるのではないだろうか。いいか悪いかではなく、変わりたいと思い続けてしまうこと。そこに喜びを見いだすこと。

たとえば、テレビ番組だって、数的にはもう充分だとも言える。昔に作った番組を再放送すればいいし、放送時間を減らすことだってできるだろう。bsやcsもあり、もはやテレビ番組はたくさんありすぎる。本もまた、ものすごい量の新刊が出る。「ほどほどでいいじゃないか」とも言える。エコってやつか。

けど、どっかで思う。ひとは次をしでかしたい生き物ではないのか。地球は有限だから、成長し続けるのは無理だとわかっているけど、それでも、成長したい、企業なら業績を伸ばしたい、そう考えるのが自然なのではないだろうか。

ちがうのかな。平安時代みたいに、社会が変わらないまま、何百年も続く…ということもあるのだから、人間は必ずしも変化を望んでいるわけじゃないのだろうか。

この先、車も服も次々買わなくていい社会になり、進歩を目指すのではなく、なんとなくゆったり過ごすことを大切にする社会に変化していくのだろう。そうなったとき、「進みたい」「変わりたい」って思うひとたちはどうなるんだろう。

今日、編集終わりで、軽く飲みにいったので、酩酊気味です。で、混乱してきた。いや、車がしょっちゅうモデルチェンジすることに批判的な記事を読んで、もっともだと思う一方で、モデルチェンジするたびに、新しいデザインを考えるデザイナーの気持ちになったのだ。「新しいもの」「より美しいもの」を考えることに喜びを見いだすひとたちの存在を。

こんなことをぼんやり考えた。眠くなったので、おやすみ。