山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

イメージに踊らされたくない。

NHKスペシャルの「無縁社会」というのを、再放送で見てました。

「無縁」って言葉が気になったので…。

大ざっぱに内容を説明すると、年間3万2千人(千の単位はうろ覚えなので失礼、三万人以上ってことです)のひとが、身元不明のまま亡くなり、遺骨の引き取り手のないまま、無縁仏として埋葬される…家族がいても、引き取りを拒否することもあり、社会とも家族とも「縁」のうすい、無縁社会が広がっている…というものでした。

どーも、自分は、こういうテーマだとひっかかってしまう。まず、ひとりきりで死ぬことを孤独死といい、それがあたかも、悪いこと、ひどいことのようにとらえているように見える…。そうなのか?

もちろん、一人きりで死に、誰にも発見されないことによって、腐敗し、まわりに迷惑をかけたとしたら、あまりいいとは思えないけど、「ひとりで死ぬこと」そのものは、それほど、悲しいことなんだろうか。まわりに誰かいたって、死ぬのはひとりなんだし。孤独=悪のようなとらえ方に違和感を持つ。

伊丹十三監督の作品に「大病人」というのがあり、主人公の映画監督はたくさんのスタッフや家族に囲まれて死んでいく。ある種の理想的な死に方なのかもしれないけど、これを撮った伊丹さんは、自ら命を絶った。(…ということになっている、真相はわからないけど…少なくとも、たくさんのひとに囲まれて亡くなったわけではない)。それを私は皮肉だとは思わない。たくさんのひとに囲まれて死ぬことが、自殺よりいいこととは別に思えない。

家族との縁が薄いこともまた、それは悪なのか?と思ってしまう。また、なかに登場する、「生涯独身」のひとたちの増加についても。結婚しないこともまた、悪なのか?

番組では、ひとつの救いとして、孤独死した男性が生前決して、ひとりきりではなかった例を紹介していた。老人は一人暮らしであったが、近所の子供と家族のようなつながりを持っていたというエピソード。

つまり、家族ではなくても、配偶者でなくても、誰かとつながりを持てればいいよね…ということだろう。彼は、孤独じゃなかった…という結論。番組をまとめるには、希望を提示することが必要で、ドキュメンタリーの構成の王道である。制作サイドの気持ちもわかるし、よくできているのかもしれない。

けど、自分には、このエピソードより、生涯独身で看護師として働き、自分の葬儀、埋葬を引き受けてくれるNPOに申し込んだ女性のほうに希望を感じた。女性は、誰にも発見されないまま、死ぬことを恐れ、それを引き受けてくれるNPOに申し込んでいるのだ。そして、いずれ、自分が入る予定の合同墓地を訪れる。

そこで、彼女は言う。

今、ひとりぼっちだから、死んだら、にぎやかにやりたいから。…だから合同墓地がいいと言う。そして、

あっちの世界でも同じ仕事(=看護師)をやりたいと思うの…と続けた。

なんか、とってもいい人生を送ってきたひとなんだ…と思った。ひとりで生き、働き、自分の仕事に誇りを持って、そして、ひとりで死のうとしている。かっこいいじゃないか。そして、彼女がひとりで亡くなったとしても、それを「無縁死」として、悲しい出来事みたいに片付けるのは、いやだなあと思った。

無縁死、上等。

それに、実は、孤独であることを、多くのひとは、望んでいたんじゃないか。

番組の中盤に、50代で離婚、銀行を定年退職後は、老人ホームで暮らし、やはり、生前に自分の葬儀をNPOに頼んでいる男性が紹介されていた。彼は、両親の墓参りに出かけ、言葉を詰まらせながら、こう話す。

いつか、銚子に行った時、老夫婦がふたりで尺八を吹いているのを見た。自分もあんなふうに老いたいと思っていた…と。(文章は記憶にしたがって書いたので、あいまいです)。

その男性は、そこで、言葉を詰まらせる。つまり、彼は孤独を望んでいない…ということを強く印象づける。けど、自分なら、こう返したくなる。

「その尺八の老夫婦だって、見た目ほど幸せとは限らないですよ。そういう物語に見えただけですよ」

家族、老いても手を繋ぐ夫婦…そういう物語に踊らされちゃダメだ。それは「幸せ」のイメージ映像に過ぎない。そのイメージのなかに入っても、幸せを自分が感じられないことがあることを、本当は知っているんじゃないか。あるいは、自分はその状態が幸せでも、となりにいる妻は、ちっとも幸せじゃないってこともありうる。

おっと、過剰に反応してしまった。

いい悪いはともかく、地殻変動のように社会が変わってきているのは確かだ。けど、縁が薄れたのではなく、今まで、それだけが「縁」とされてきたものの強度が弱くなっただけだと思う。その使命は終わったんだよ。だから、薄れる。薄れるのを止める必要なんてないと思う。

そういうことをつらつら考えた。

あの一人暮らしの元・看護師だったおばあちゃんの手を握りたくなった。