山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

無縁社会についてその2

「その2」としたけど、「その1」があるわけでなく、「その1」に当たるのが、「イメージに踊らされたくない」(2月2日の日記)になります。

2日前に見た、NHKスペシャル「無縁社会」によって、考えたことをもう少し。

「さと」さんからもメッセージが来たので、書き足りないなーと思った部分を書こうっと。

番組のテーマは、ひとりで亡くなり、名前もわからないまま、埋葬されるひとが増えている(年間三万人以上)ことをレポートしたもの。いろんな形で、ひとりで死ぬひとがいる、なぜ、ひとりで死ぬことになったかを追いつつ、ひとりで死ぬことを恐れるひと(高齢者)も同時に紹介していた。

孤独死=悲しいこと…というとらえ方に、非常に違和感を感じるし、どんなにたくさんのひとに看取られようと死ぬときは誰だってひとりなのだから…と思った。そして、孤独死の原因が、家族とも社会とも「縁」のうすい「無縁社会」になっているから…という論法にもちょっと無理があるように思った。

まず、一人で亡くなり、身元不明のまま、埋葬された…と紹介されていたひとが、NHKのスタッフが調べると、名前も故郷も、家族さえも判明していた。つまり、身元不明ではないじゃん。これって、自治体の手抜きなんじゃないの?ちゃんと調べれば、名前も故郷もわかるのに、「しない」だけでは?

いいわけとしては、かつては、そんな形で亡くなるひとはまれだったので、ノウハウが自治体にない…と言えるかもしれない。ひとりで亡くなったひとの名前や家族を探す部署も予算もないので、結局、「身元不明」にしてしまう…ってことかもしれない。本当は、そこらへんの対応を自治体のひとにインタビューしてもよかったんじゃないかな。断られたのかな?

いや、もしかすると、番組で調査できたのは、ごく一部で、ほとんどのひとは、調べても名前さえわからなかった…ということかもしれない。そのあたりをもう少し詳しく知りたかったように思う。でも、基本的に番組を批判するつもりはなくて、無縁で死ぬことは「悪」なのか、避けなくてはいけないことなのか…ってことに注目している。

番組のなかで、身元不明のまま埋葬されるひとは、「行旅死亡人」という、瞬間的に詩的に思える言葉で表されることを知った。旅の途中でなくなったみたいな言葉だ。で、それはともかく、ちょっと気になり始めたのは、「名前もわからず埋葬される…」ことが、最大の悲しいこと、ひどいこと、あってはならないことなのか…ってこと。

死んだらみんな「無」になっていくのだから、「名前」から解放されてもいいんじゃないか…と思った。仏教だと、戒名などをいただくけど、本人は死んでしまったのだから、どんな戒名になっても知りようがないし。遺族にしても、戒名にどれくらい親近感を持つのだろう。正直、自分は、父の戒名を思い出せない。

死んで灰になったら、少なくとも、自分は、名前なんてどうでもいいな。だって、関係ないじゃないか。そういうことは本質的な問題ではないんじゃないかな。

(もちろん、死に対する考え方は、宗教観によってだいぶちがうので、一概には言えないが…)

誰にも看取られないまま、亡くなるのがイヤなら、それをしてくれるシステムがあればいいってことじゃないのかな。かつては、それが、家族ってことだったんだろうけど、家族というシステムが終わりをつげたので、たとえば番組で紹介されていたようなNPOが生まれているってことだ。家族の使命は終わったんだよ。

それは、誰かが、「家族」をやめろ!と指示したわけではなく、自然な流れのなかで、多くのひとが家族を持つことを選ばなかった結果にすぎない。

この問題は介護の問題と似ているなーと思った。少し…ということもないけど、だいぶ前は、介護は家族がするもの…的な考え方もあった。老いた親の面倒を子供(多くは嫁か娘)が見るのが当然とされた。子供に老後の世話をしてもらえないことは、悲劇のように語られた時代もあった。

が。すでに、それは過ぎた。

娘や嫁だけが、老人の世話をするにはあまりに、大変だからだ。そこで、たくさんの介護施設や介護を仕事にするひとが生まれた。今、そういったプロの手を借りることに違和感を持つひとは減ったんじゃないかな。

「無縁社会」が放送される前の番組は、深夜に老人介護してまわる女性のドキュメンタリーだった。もちろん、女性と介護される老人は、血縁ではない。彼女は一晩に数名の老人の家を訪問し、おむつを替えたり、食事を食べさせたりする。プロとしてその仕事についている。とても前向きですがすがしい感じの女性だった。老人たちも彼女を慕っているように見えた。

彼女のようなひとが居れば、孤独死は減るだろう。なんか、番組の前の番組で、結論を先に放送しちゃっているように思ったのだけどね。

最愛のひとに看取られて死にたい…という気持ちはわかるし、自分もそうあってもいいな…とも思う。けど、それは結果論だし、だいたい、女のが寿命も長いし、必ず布団の上でそのときを迎えられるかどうかわからないのだから、美しいイメージは、イメージとしてとらえながら、現実を見て生きたいなーと思いました。