山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

静かな日々もいいよな。

にわかに忙しくなってきている。

今日は、昼間、ロシアの楽器関連の取材をして、いったん、家に帰り、これからする仕事の資料を整理して、夜は池袋のサンシャイン劇場に舞台「クローサー」を見に行った。ストリッパー役で、佐藤江梨子ちゃんが出演していたのでね。

もともと、映画の「クローサー」は大好き作品なので、ストーリーは知っているけど、楽しみだった。ロンドンを舞台にした、「愛とはなに?」「性愛とはなに?」って感じのどストレートな作品だからね。都会に暮らす、20代^30代の男女四人の物語。誰を愛しているとか、本当は愛してないとかが、恥ずかしくなるくらい直球で語られます。あと、小粋なセリフのやりとりや、ちょっとした仕掛けもあって、さすがヒット作ではある。

芝居のあと、ちょっと佐藤さんに挨拶して、楽屋をうろついていたら、20年前、初めてテレビドラマを撮ったときに主演をやってくれた、元舞台女優さんにばったり会う。彼女は、今や、芸能プロの社長さんになっていた。とても懐かしく、楽屋の廊下で立ち話。なんか、時が過ぎたのをひしひしと感じた。

今日の「クローサー」という芝居のなかに、新聞に死亡記事を書くライターというのが出てくる。(舞台では、福士誠治さんが演じている)。彼は作家志望で、小説を書き、本を出す。テーマは同棲しているストリッパー(佐藤江梨子演じる)のお話。満を持して出版したけど、あまり売れない。相変わらず、死亡記事を書くライターだ。年齢は、35歳くらいの設定だけど、やはし、自分も物書きなんで、こういう設定には反応しちゃうんだよなあ。

作家になりたいけど、死亡記事を書いて生きていく…ドラマのキャラクター設定としては面白いけど、現実にそれを生きるのは、結構、キツイんだよなあ。このライターが、自分の初めての小説について、友人のカメラマンに感想を聞いたりする。すると、「ものすごくいいってわけじゃないけど、悪くなかったわ」なんて、軽く言われる。ドラマなので、それを聞いてもライターはそれほどこたえるそぶりはない。

けどさ。

「すごく良かったわけじゃないけど、悪くなかったわ」

こんなこと、面と向かって言われたら、自分なら爆死だなあ。イギリス人だから(設定は…)そこらへん、はっきり言うのかもしれないな。日本の流儀なら、面と向かっては、なかなか言わないでしょう。逆につまらないと思っていても、「いや~よかったですよ~」というひとが多いもの。

まあ、そんなわけで、久しぶりに「クローサー」を楽しんで帰宅。いろんなメールや電話をもらって、一喜一憂して生きて居る。ほんとは一喜一憂禁止なんだけど。いちいち喜んだり、いちいち落ちてたりするのは、精神によくないからね。

静かに、草原を渡る風のように、なごやかに毎日を過ごしたいなあと思うのだった。昔は、そんなことを思う日が来るなんて、思わなかったなー。毎日、今死んでもいいやって気分で生きていたような気がする。それに、毎日が、なんか、ものすごくたいへんだったような気がする。常に事件が、良くも悪くも起きて、仕事も忙しいけど、生活も忙しくて、30代は、何度も住み処が変わったし。

そんな日々を懐かしく思い出しながら、舞台を見ていた。