山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ゲーム問題。

今日は新聞ネタ。

朝日新聞を読んでいたら、「子供とゲーム」がテーマの記事がありました。子供にどこまで、ゲームを許すか…その判断が難しい…といったような、親たちからの投稿や取材がメインでした。

なるほど。子供(小学生くらい)にとって、ゲームは魅力的な遊びで、1度はまったら、なかなか出てこられないだろう。禁じてしまうと、友達との会話についていけなくなったりするし、一方で、野放しにするのも不安のようです。

こういう記事を読むと、「おお、子供いなくてよかった」と不謹慎なことを考える。

だって、自分自身が、ゲームやりだしたら、徹夜してしまうような人間であるから、むやみに子供に禁じることもできないし、子供がいたら、1度も食事を作らないまま、ゲームし続けることなど、できなかっただろう。

まあ、このような、自分のダメさ加減を最初からわかっていたので、子供を持つのはやめようと思ったわけだが。

その記事のなかに、ゲーム機をプレゼントしたら、そればかりをやって、友達が遊びに来ても、お互いにゲームするだけでほとんど会話もしない、このままいったら、どんな大人になるのだろう…と不安になった、という母親からのコメントが載っていた。

不安になる気持ちはよくわかる。

確かに、ネットやゲームがなかったら、「引きこもり」は生まれなかったと思うし。なにもない部屋で引きこもるのはなかなか難しい。ゲームやネットがあるから引き込もれるのだ。自分が、まさにそうだからね。

しかし、まあ、テレビが生まれた時も、テレビばかり見ているとバカになるとか、漫画のときも漫画ばかり読んでいるとバカになるとか、いろいろ言われたので、それはまあ、しかたないような気がする。新しいものが始まるとき、誰かは必ず、文句を言うもんだ。

女性が、大学にたくさん通うようになったとき、「女子大生亡国論」ってとなえるひとがいた。女子が大学に行くなんて、将来、国を滅ぼすだろう…ということだろう。(…と言いつつ、この本?論文?読んでないんで、タイトルから推量)。

まあ、それから何十年もたって、女子の大学進学率は、ぐっと増えたと思うけど、日本は滅んだのだろうか。不況とかGDPが中国に抜かれるとかいろいろあるかもしれないけど、とりあえず、滅んではいないよね。

ゲームの話に戻る。

もし、この世界で、たったひとりだけ、ゲームにはまって、部屋から出てこないとすると、特殊なケースだろうけど、ゲームばかりやっている子供なんて、たくさんいて、そいつらが大人になったら、明らかに今とちがう世界を作るだろうけど、それを止めることなんて、できないだろう。

今、テレビでは、アニメ番組がとても多くなった。映画でもアニメは多い。子供のころからアニメを見ていたひとたちが、大人になって、働くようになったので、アニメの番組を作り始めたのだ。それって自然なことではないか。

だから、ゲームで育った子供は、大人になったら、大人用のゲームをもっと作っていくだろうし、接待ゴルフじゃなくて、接待ゲームもやるだろうし。というか、接待という概念も変わるだろう。

ゲームにはまりすぎて、ゲーム作家になるかもしれないし。致命的なことになるかもしれない。そこらへんは、個々によって違うから、正論はないよね。ひとりひとりの親が自分の子供の場合は、どうするかって、決めるしかないんだろうなあ。

たいへんそうだ。オノレのような者が語ってはいけないな。子育て中や、子育て経験のある方から、「引っ込んでろ!」と言われてしまいそう。

子供を持たないと、いつまでも子供の感覚でいられる…ってことはある。子供の感覚のまま、大人になり、仕事を持ち、それも自分のような、フリーランスの仕事だと、「子供感覚」で生きていようと思えば、いられる。
(見た目は別ですよ…当然…笑)。

でも、案外、自滅せずに生きていけるものです。自分のなかで、警報装置みたいなものが発令して、ゲーム三昧の日に、自分から終わりを告げることができるし、ゲームやって、仕事さぼる…ということもない。適度なところを学習していくもんであります。

子供がゲームばかりやってていいのか……の答えに全然なってませんね。すみません。

なんか、最近、ブログを書くのが楽しくなくなってきて。思ったままが書けなくなってきた予感。
原因はよくわかっているのですが、ここに書くのは控えておきます。

連休最後の日、明日から仕事!という前向きになった方がいい日に、マイナスの気分でごめんなさい。