山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ふしぎな出来事。

いろいろ不思議なことも起こります。

今日はちょっとした偶然の重なりについて、書きます。

昨日は、日記に書いた通り、「裏切りの街」を見に行ってました。そこで、テレビの後輩に偶然会って、一緒にご飯を食べました。舞台のこととか、近況とか話していたんですけど、そのとき、彼が、少し前に仕事を一緒にしたひととして、歌人の枡野浩一さんの話をし始めました。「嘘がつけない、正直すぎるひと」だった…と。

「裏切りの街」の影響で、「結婚とは?」「浮気とは?」「嘘とは?」ってことがテーマになっていたので、その流れで出てきたのですが、「結婚しているとき、相手に対して、正直すぎると、結構大変なことになるよね」みたいなことを話していたわけです。

まあ、その話題の詳細はここには書きませんが、そんな話をしつつ、家に帰ってきました。それで、何気なく、枡野さんのブログを見たら、びっくり。自分の映画を見に行って、そして感想をしっかり書いて下さっていました。

私は枡野さんとは面識はないです。ツイッター上で、いくつかやりとりをしただけです。もちろん、以前より名前は存じ上げており、「淋しいのはおまえだけじゃな」という文章が好きで、淋しそうなひとを見かけると、ふざけて、よく使ってました。(すみません、.ⓒマークもつけずに)。

自分のまわりは、映像関係者が多いので、これを語るとたいてい、「い」が抜けてるよと注意されました。
(テレビドラマで「淋しいのはおまえだけじゃない」という名作があるんですね)。で、まあ、そんな感じでしたが、全く同じ日に、なにかがつながった気がして、不思議な縁を感じました。

いろんなことがあるなー。ツイッター始めたからかな。やっぱり、ちょっと動くと、なにかが変わるんだなあとしみじみ。

と、これが、不思議な縁の話。つづいて、昨日の舞台に関することをもうちょっと書きたくなったので、脈絡ないですけど、書きます。

昨日から、ずっとあの舞台について、考えていて、(誰にも頼まれていませんが…笑)、そこで、フト、思ったんですよね。

正しいのどっち?狂っているのはどっち?

いきなりで、わかりにくくてすみません。詳細は昨日の日記を参照してもらうことにして、「裏切りの街」の登場人物たちを大きく、二つのカテゴリーに分けることができます。

ひとつは、主人公の25歳の男と、40歳の主婦。彼らは、たいして仕事もせず、特にやりたいこともなく、だらだら日がなテレビを見ている。退屈を紛らわすために、二人は知り合い、ひたすら情事に走る。この現状逃避型、ダメダメグループ。

もうひとつは、25歳の男の同棲相手の女、彼女とも寝ている、主人公の友達の男、主婦の旦那、主婦の妹のグループ。こっちのグループは、現状肯定型。旦那も適当に浮気をしている。主婦の妹も諦めて結婚する。同棲中の彼女も浮気をしている。

彼らに共通しているのは、「どうせ、人生こんなものだから、適当に浮気などをしつつ、現実を乗り切っていこう」という諦めというか、開き直り。

どっちがいい…って簡単なものではないのですが、現実を受け入れて、適当に流しながら生きることができない…という意味では、ダメダメグループの方が、純粋とまでは言えないけど、なにかこう、共感できるところがある。あるいは、少し希望が見える…気がする。

浮気しといて、なにを言ってるんだよ!ってことですけど、そのどうしようもなさが気になる。

以前、とある男性と話していて、そのひとは、ずっと愛人を持っていたというのですが、「1度も罪悪感を感じたことない」というのです。そのとき、自分はすっかりその人への関心を失ってしまいました。

そうなのか。それだったら、人生ってすごい楽じゃないか。

うまく言えないなあ。つまり、昨日のダメ人間ふたりが、ダメなくせに、どっかで反省しちゃってて、それでもやめられない部分でつながっている感じ、そこに打たれた…ということを言いたいのだな、自分は。

えっと、ここらへんのテーマについては、拙著「まじめなわたしの不まじめな愛情」に詳しいです。まあ、「すべては海になる」も基本はそういう話です。

ダメ人間が見せる、一瞬の光のような真実。どろどろの欲望の果てにたどり着く、ひとかけらの純情みたいなものが、どうも、自分は気になってしかたないのだった。

あ、自分の映画は、三軒茶屋中央劇場で金曜まで。土曜からは横浜ジャック&ベティで上映しとります。詳しくは、このhpのいろんなところに書いてあります。