山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

舞台「裏切りの街」

今日は、パルコ劇場で、三浦大輔さん作・演出の「裏切りの街」を見て来ました。

三浦大輔さんは、ここ数年、見た芝居のなかで、もっとも衝撃を受けた「愛の渦」の作者であり、その他の舞台も見る度に、強烈な刺激を受けてきました。すごいなあ、これだよな、よくここまで描ききり、演出しきることができるよなあと、毎度毎度、深く感動してきました。

なので、今日は、とても楽しみで楽しみで、また、「倒されたい」気持ちででかけました。その上、自分の好きな、大・松尾スズキさんや、これまた、一緒に仕事もしてさらに好きになった、安藤サクラちゃんが出ておる。この日に仕事入っても、さぼろうと思ってましたもん。暇だったけど…。

で、第一の感想。田中圭という俳優さん、初めて、見ました。すごいです。うまいです。これぞ、見た目はちょっといいけど、心底のダメ人間を、これでもかというほど、リアルに演じています。人間のもつ、ダメさ加減と弱さ加減と悪者になりきれない感じが、全身から出てました。

聞けば、この俳優さんは、イケメンとして、もっとかっこいい役が多い方だそうです。それをみじんも感じさせない、ダメっぷり。よかったです。しびれました。そして、彼がつかの間見せる、本音かもしれないと思わせる言葉、でも、それを吐いたかと思うとすぐに打ち消すその弱さが、なんとも、巧みだと思いました。

この先、考えようによってはネタばれになるので、これから見る方はスルーしてください。

ざっくりしたストーリーの前提は、バイトをサボってばかりいる25歳の男と、なんとなく退屈を感じている40歳の主婦が、ツーショットダイヤルで出会うことから始まります。

25歳の男には、同棲中の彼女がいる。(この彼女を安藤サクラが演じている)。彼が働かないことを責めもせず、毎日お小遣いまでくれる献身的で優しい彼女です。言ってみれば、主人公の男は、かなり「恵まれている」男なわけです。

この世には、彼女もお金も、彼ほどの顔(ハンサム)ももっていない男がたくさんいるはず。彼なんて、恵まれている方なんです。でも、なんだか、なにもやる気がしない。

一方の主婦も同じです。食器洗いも率先してやる理解ある夫(これを松尾スズキさんが演じている)がいるにも関わらず、なにか、鬱屈としている。まだ、なにか、もっといいことがあるんじゃないか…という思いでいる。

そんな二人が出会うわけです。でも、ふたりが探していたのは、“愛”でもない。とりあえずの性欲の満たしあい…みたいなものです。

果たして、二人はなにが欲しかったのだろうか。

話は変わりますが、映画のシナリオを書くとき、主人公がなにを求めているか…はかなり重要な課題になります。例えば、刑事ドラマなら、刑事の欲求は犯人逮捕だし、恋愛ドラマの多くは、恋愛がうまくいくことが主人公の欲求になります。

映画とは、2時間の間に、その「欲求」が叶えられるかどうかを見ていくもの…とも言えます。とまあ、これは、映画でもテレビドラマでも、割と常識的なものなんですけど、その視点から見るとですね、「裏切りの街」の主人公二人、25歳の男と40歳の女の「求めているもの」がよくわからないのです。

というか、ないんです、たぶん。あるいは、ふたりとも何が欲しいのかわからない。わからないけど、現状に不満だけはある。リアリティとしては、わかりますが、こういう主人公を描くのはドラマを展開させる上ではかなり難しいです。

なぜなら、お客さんは、なにを頼りに見ていけばいいのかわからなくなるから。けど、自分、こっちが好きです。ハリウッドのシナリオ作法は、基礎から自分も勉強し、シナリオを書くときには今でもその作法を使っています。実際、これで書くとたいていうまく書けます。

けど、いつも、それだけでは書き終えた気のしない部分が残る。それがやっぱり、「なにをしたいのか、そもそもわからないひと」の問題です。なぜなら、自分もそうだからです。

希望の(欲求の)ないところに解決もなし…ってことになります。

だから、この舞台にも解決らしい解決はないです。なにがしたいのかわからないふたりが、わからないまま、ひたすら、現状肯定をしつづけるお話。あるいは、現実から目をそらし、逃げ続けるお話です。

けど、たぶん、これって、かなりリアルなんじゃないだろうか。現実には、ハリウッド映画のように、物語を進めてくれるような事件は起きないし、主人公はそう簡単に成長しない。そのことは、みんなもう、知り尽くしている。

だから、ハリウッド的展開を今更見せられても、(いや、今でもほとんどの観客はこっちを望んでいるとは思う。なぜなら、ヒット作はみんなそうだから)、なんだかな…と思ってしまう。

けれども、これは解決できない問題だから、描くのはもっとも難しいのだ。なにをしていいかわからない主人公を提示することは簡単だけど、じゃあ、どうやって物語を進め、どうやって、見せていくのか。途中で、自分が本当にやりたいことに気づく…というのもひとつのパターンとしてはある。これは作りやすい。やりたいことを見つけた主人公は、前に進む。めでたしめでたしとなる。

でも、それじゃあ、自分のような観客は満足しない。なあんだ、その手か…と思ってしまう。その手だったら、私も書けるよ…と思ってしまう。上手下手はあるにせよ。

なにをしたいのかわからないひとが、なにをしたいのかわからないままに結末を迎えながら、でも、ドラマとして、ひとを震わせることができたら、それがもっとも、憧れる。そういうもんが書きたいですもん。

えっと、実際の作品から離れてしまいました。

偶然、後輩が見に来ていて、一緒にご飯を食べながら、この舞台について話ました。彼らはこれからどうなるんだろう、と。

舞台の主人公たちより、長く生きた自分は、彼らの結末をすでに知っているような気がする。なぜなら、それが今の自分だからだ。答えは、どうにもなりはしない。どうにもならないまま、現実をひきずって、いつか死ぬまで生きるのだ。たぶん。(まだ、死んでいないので、わからないけど)。

難しいテーマに挑み続ける、この劇作家さんに敬意を表したいと思います。銀杏BOYZのCDを買ってしまいましたよ。