山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「プレッジ」

随分、前の作品だけど、ショーン・ペン監督の「プレッジ」(原題 The pledge=固い約束みたいなこと)をdvdで見ました。

きっかけは、ミッキー・ロークが出ていた「アクターズスタジオ」。

ミッキー・ロークが、俳優の仕事から遠ざかり、お金がなくなって困っていたころ、友だちでもある、ショーン・ペンに「でないか」と誘われたと説明してました。

で、実際の演技を「ひどかった」みたいに自身が語っていたと記憶しているので、見たいなーと思って。

セクシーオーラ全開のかっこいい時代のミッキー・ロークと、「レスラー」でボロボロになっている彼とのちょうど中間点に位置する作品かなと思って、ちょっと俗な興味で借りました。

いや、もちろん、監督ショーン・ペンにも興味はあるので。

で、昨日見たんだけど、まず、ミッキー・ロークについては、ワンシーンだけだし、本人が言うような駄目な演技にはちっとも見えなかった。

というより、年齢を重ねても、充分セクシーだなあと思わず、うっとりしたほど。娘を殺され、苦悩する父親の役なのに…かっこいい…あ、それがダメなのかな。生きる意欲を失っているはずなのに、色気あるから?

いや、関係ないよね。

で、ミッキー・ロークネタはここまでとして、映画については…う~ん。

自分はどうもショーン・ペン監督と相性がそれほどよくないのかもしれない。いや、ちがうな、よくわかるんだけど、どっか、ひっかかるというか。

「into the wild」もそうでしたが、この監督は、とことんリアル。映画の魔法、物語の魔法をあんまり信じていないように思える。

魔法というのは、希望とか奇跡といってもいいけど。

だいたい、結末は悲惨だし、救いがない。まるで現実のように。

21世紀に入ってますます、現実は物語世界を凌駕して、飛んでもないことが起こり、それは決して、ハリウッド映画にありがちな、ハッピーエンドを迎えることはない。

かといって、わかりやすい最悪の結末ってことでもない。現実はいつもよくわからないまま、終息したようで、続く。

まるでそれを写し取ったように、ショーン・ペンの映画は終わる。

ジャック・ニコルソン演じる、引退後の刑事は、被害者の母親と「犯人を捕まえる」という固い約束をしたが故に(…いや、本当にこの約束のせいなんだろうか。もともと、この刑事はそういうタイプの奴だったように思える)、殺人犯を追うことから逃れられなくなる。

これは刑事ドラマ、犯罪ドラマであるようで、ひとつの出来事にこだわってしまう、初老の男の悲劇でもある。事件解決にこだわりすぎて、本末転倒する…というか、その悲劇というか。

それを描こうとしているのはよくわかるのだけど、だとしたら、どうしてこの男はそこまで、事件に入りこんでしまうのか…という過去がほしくなってしまった。

でもたぶん、それだと、あまたあるドラマになるから、退けたのかもしれない。そういう意味では、メタ刑事ドラマになっている。ううむ。

現実のあまりの脈絡なさに、フィクションは追いついていけない…これだけはすっごい事実だと思う。

でも、一方で、わかりやすいドラマや物語が量産されている。それは、わからない現実をほっておいて、「ふに落ちる」物語を多くのひとが求めるからだよね。答えがないのは、不安だもの。

犯人と動機をわかりやすく説明してくれるものがこのまれる背景はわかる。

…というわけで、フィクションを扱うのはほんとに困難な時代であると思う。

あれ…いつの時代もそうかもしれないけどね…笑。

追記

「プレッジ」を見ていて、しきりと思い出したのが、「インソムニア」。

アル・パチーノの演じるベテラン刑事が、同じように少女殺しの殺人犯をおいかける話だ。

これも、犯人逮捕と事件を追うだけじゃなく、刑事側のストーリーも描かれている。ベテラン刑事の過去と今抱えている問題…不眠症だ。

そういう部分が、「プレッジ」と重なるなーと思った。重なるけど、「インソムニア」のがよく出来ていると思った。物語として完成度が高いのかもしれない。

でも、「プレッジ」は物語としての完成度なんか求めていないのかもしれないから、わからない。

そんなとき、ショーン・ペンが、役のために体重を増やしたのに降板された…という痛いニュースを聞いた。

ハリウッドでもどこでも、俳優が生きていくのが厳しいよなあ。監督も同じだけどね。