昨晩は、dvdにて、映画「真夜中のカーボーイ」を見た。
「マイバックページ」(映画と本)に影響されてのことだ。
「マイバックページ」のなかで、週刊朝日のモデルだった少女が、「真夜中のカーボーイ」を見て、「男が泣くところがいい」と言っていた…というシーンがあった。
話者である川本三郎氏(演じる妻夫木聡)は、その時点ては、「泣く男」のどこがいいのかわからない…と答えているが、後日、アメリカ映画のなかに、「泣く男」を登場させた新しさについて、文章を書くことになるなど、当時としては斬新な視点だったらしい。
しかし、自分は、見たはずなのに、「真夜中のカーボーイ」をほとんど思い出すことができず、どこで誰がどんな風に泣くのかさえわからなかった。
見て確認しなくっちゃ…ということで、レンタルしました。
いやーかつて見たのは幻だったのか…ってくらい、初めてみたいに見た。
(こういうこと書くと、映像業界のモノとしては、「失格だ!」って映画に詳しいひとから怒られそうだけど…事実だから、しかたない)。
かなり新鮮な作品だった。新鮮…というのは、当時、見たひとが新鮮に感じただろう部分ではないと思う。
今ならテレビ系映画、テレビドラマで、普通であるところの、テーマ曲ががんがんかかるところとか、プロモーションビデオみたいなカット繋ぎとか、ニューヨークの最先端遊び人たちの生態とかは、当時は「新しいもの」「かっこいいもの」「伝統を打ち破るモノ」であったかもしれないなーと思って、懐かしく見た。
でも、自分にとって、新鮮だったのは、それらではなかった。
「有閑マダムが若い男を買う」という世界観が新鮮だった。
この点について、主人公の二人の若者(ジョン・ボイドとダスティン・ホフマン)は、常識みたいにふるまう。
ストーリーは、テキサスに住む、イケメン・カーボーイ(恰好だけ)が、有閑マダムの愛人になって、お金儲けをしようとニューヨークへやってくる。
そこで、町のちんぴらである、ダスティン・ホフマンに出会う。それからは、ふたりの友情というか、町のちんぴら同士のお話になっていくんだけど、二人とも、「お金持ちの女と寝て、お金をもらおう」と考えてる。
へえ。そうなんだ。
当時のニューヨーク(アメリカ一般?)には、そんなことが、すんなり信じられるほど、「有閑マダム、若い男を買う」という構図があったのだろうか。
一方で不思議なのは、ゲイには身を売らないこと。
有閑マダムと寝てお金をもらうのはOKで、ゲイならダメ…という基準が不思議だった。
やんちゃな不良という設定なのに、案外、彼らの性意識なのか倫理観は保守的だったんだ…ってところが面白かった。
それとも、生理的にゲイはダメだったの?年とっていても、女ならOKなの?
ここらへんが、ホント、よくわからない。不思議。
売春を生業とする場合、相手が男か女かってやっぱり重要なのかな。もちろん、AV女優さんでも、「これはできるけど、これはダメ」というそれぞれの決まりがあるから、売春するなら、相手は誰でもいいでしょ…と考える私が大ざっぱすぎるのかもしれない。
自分だって、テレビの仕事するけど、やりたくない番組はやらないし…同じ?違う?
とにかく、一番新鮮だったのは、その世界観で、そういう部分を当時の女性はどういう風に見たのかなーと思った。
そして、若い男たちは、「お金持ったおばさんに買ってほしいな」って平然と思っていたのかしら。
…ふと、「卒業」という映画を思い出す。これも、若い男がおばさまと関係する話だ。最後の教会から逃げ出すシーンばかり有名だけど、元々そんなことになったのは、おばさまと関係していた主人公が悪いのだ。(悪いかどうかわかんないけど)
とすると、この時代って、年上の女と青年っていう関係が割と、平然と信じられていて、その世界観のなかでは、年上の女はいつも積極的で、「性」のみを求める存在として描かれる。
ちょっと、待って、本当に?
本当に、その頃はそんな女のひとが映画に出てきても自然に思われるほどいたのだろうか…。
なんかねー、これって、すっごい深読みすると、映画を作っていたおじさんたちの幻想じゃないのかってこと。
おじさんたちは、自分が若い女の子に欲情するように、おばさんたちも若い男に同じように振る舞うんじゃないか…あるいは、自分たちがおばさんたちに見向きもしなくなったので、暇と欲望をもてあましたおばさんは、お金の威力で男を買うんじゃないか…って想像したのではないかしら。
昔のロマンポルノにも、そういう話結構ある。
けどさ。
自分が、「おばさん」と言われる年齢になって思うことは、おじさんたちほど、欲情しているひとがいないってことだ。しかも、お金で買おうとまで考えるひとは、とても少ない。
それはお金がないからとかではなく、お金で買ってまで欲望を処理したい…という発想するひとがそう多くないからのように思う。
それに今ってそういう作品、ほとんどないよね?
あ…「泣く男」の話から随分ずれてしまった。
ダスティン・ホフマンが泣くシーンがあったのだけど、その時が、「マイバックページ」で言及されるシーンだと気づかなかった。
最後まで見て、「あーあれが泣くシーンだったのか」って思い出さないとわからなかった。
そうか、確かに泣いていた。しかし、今や、「泣く男」はちっともめずらしくないので、するっと見ちゃったんだな。
確かに、泣く男を描いたのは、新しかったのかもしれない。おばさんは若い男を買う…という偏向した世界観に貫かれている作品のなかで、男が泣く…というのはかなりギャップがあるし。
そして、この作品がどれほど、のちの映画やテレビに影響を与えたのかもわかって面白かった。
「傷だらけの天使」とかね。
で、あと、ふと思った。
このお話を女二人でやったら、通用するだろうか。
映画には、この作品のように、男二人が出てくる、バディムービーというのがいろいろある。「相棒」だってそのひとつと言えるかもしれない。
けど、女ふたりってどうなんだろう。
「テルマ&ルイーズ」はそれに当たるけど、すっごい深刻になっちゃう。
たとえば、地方都市から、東京でおじさんだまして、お金儲けようと、見た目に自信のある少女が出てくる。街中で(渋谷?六本木?新宿?あたり)で、年上の女に出会う。
「いいオヤジ、紹介してあげる」と言われて、連れていかれたのは、レズだったり、奇妙な宗教家だったり?
一時はケンカする二人だけど、行く当てのない少女は年上の女と一緒に暮らすようになって…。
ううむ。
そうはなかなかいかないよね。女だったら、「行くあて」「泊まる場所」「世話してくれるおじさん」は割とすぐに見つかるだろう。必ずしもいい条件じゃないにしろ。
女同士だと、うまく進まないなー。
ふたりが同居するためには、少女のほうに必然がないとだめだよね。秘密があるとか、誰かの女になるのはいやだとか…。
女ふたりはむずかしいなー。
…もはや、映画の感想じゃないね。失礼しました。