山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」

打ち合わせのあと、新宿で映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」を見て来た。

すっごく好きというひとと、そうでもないと言うひとと、まわりでは意見がわかれていた。自分はどっちかなーと思っていた。結論から言うと、好き。

韓国の映画「息もできない」と比較するひともいたけど、自分は、テレビドラマ「傷だらけの天使」を思い出した。前者は、行き場のない暴力を描いたもので、「傷だらけの天使」は孤独な二人の青年の友情ともとれる関係を描いたものだ。「傷だらけ…」に近いように思えた。

「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」のあらすじをざっと説明すると、ケンタ(=松田翔太)とジュン(=高良健吾)は、ともに親がいなくて、施設で育っている。幼なじみのようなものだ。ふたりは、一緒に解体工事の仕事をしている。ケンタには兄がいて、今は刑務所に入っている。ビルの解体の仕事はきつく、先輩(=新井浩文)は、ケンタをいつもいじめる。

そんな二人はある日、カヨちゃん(=安藤サクラ)をナンパして知りあう。ジュンはカヨちゃんの家に転がり込んだりしているけど、特に、恋愛というほどでもない。

ケンタは、先輩のイジメに耐えきれなくなって、ジュンとともに、先輩の車を壊し、バイクを盗んで、逃げ出す。ジュンを愛していると思っているカヨちゃんも彼らにつきあう。

こうして、三人の旅が始まる。いわゆるロードムービーである。この映画の好きなところはいろいろあるけど、わかりやすいところから行くと、松田翔太かっこいい。ガテン仕事してても、いじめられても、キレてても、なにしててもかっこいい男である。高良健吾も美男であるけれども、ケンタの弟分のようで、情けないやつを演じている。このふたりの取り合わせが、もろ、「傷だらけの天使」っぽい。

けど、「傷だらけの天使」を越えているかもしれない…と思わせるのは、カヨちゃんの存在だ。「傷だらけ…」でも常に女子はからんできたけど、たいてい、「美女」であった。

なので、最大の好きなところは、カヨちゃんだ、やっぱり。男2女1の関係性を描いた映画はたくさんあると思うけど、(「冒険者たち」とか…)、たいていの場合、たったひとりの女子は、美女だ。二人の男の間をゆらゆらし、彼女の愛を勝ち取ることが映画のテーマになったりする。

しかし、カヨちゃんは、ブスなのだ。さらにバカだし、わきがでもある。ジュンから「ブスでバカでわきが」と蔑まれる。しかも途中で捨てられる。そういうヒロインがかつていただろうか。ここがすごいところ。ここが新鮮で好き。

だいたい、これまでの映画だと、ヒロインは美女と決まっていて、カヨちゃんみたいなコは、脇役だったのだ。ブスだし、おまけに誰とでも寝るのだ。そんなカヨちゃんをヒロインに持ってきたところが、とってもいい。

彼ら三人に共通するのは、「どんづまり」「行き場のなさ」である。親がなく、施設で育ち、過酷な労働をしている男二人の行き場のなさは、「ブスでバカでわきが」のカヨちゃんの絶望と呼応しあう。そうなの?ブスでわきがは、絶望的なことなんだね、この世界では。

こうした三人の救いのない旅の模様が、ぎこちなく描かれる。結末がどうなるかは書かないけど、やっぱりわたしはカヨちゃんに希望を見た。ただ、カヨちゃん、こんなダメな男たち……いくらイケメンだからって、捨てちゃえよ…とずっと心のなかで叫んでいた。

私の映画でも、安藤サクラちゃんに「ブス」と呼ばれた女子高生を演じてもらった。ブスと言われて、言われっぱなしではなく、世界に挑む女子を演じてもらったけど、自分の映画を撮っているとき、「つぎもブスの役なんですよー」と言っていたことを思い出した。

サクラちゃんは実際会うと、肌のキレイなさっぱりとした美人である。けど、こうして体当たりで「ブス」を演じることに敬意を感じる。あの存在感。

かっこいい男ふたりもいいけど、カヨちゃんがからむと、ぐっと物語に深みが増すのだ。絶望から抜け出すには、カヨちゃんが必要だったのに…。

ひとつだけ。

もし、自分だったら、カヨちゃんには、ケンタとも寝てほしかった。どっちともやりつつ、進んでほしかった。カヨちゃんなら、それくらいじゃ、めげないし。

統計を見ると、日本で自殺するのは、男のほうが圧倒的に多い。これは、男のほうが絶望しやすい…とも言えるけど、逆に言えば、女は最初から絶望しているので、自殺したりしないんだよなーと思う。

生きろ、カヨちゃん!