山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

自殺できるほど安全?

数日前の話題ですが、いつも読んでいるchikirinさんの日記に、日本の自殺率の多さが書いてあった。(男性の自殺者が多いってことがメインだけど)。

同じころ、やはり、いつも読んでいるさとなおさんの日記に、どれほど日本が安全な国であるか…について書いてあった。

さとなおさんも、日本は安全だけど、自殺も多い…と言及されていましたが、安全と自殺はどうつながっているのかなーと思いまして。

(それは多分に、昨日、「あの夏の子供たち」という映画を見たせいだと思います。主人公の映画プロデューサーは、借金のせいであっけなく自殺してしまうから…。)

さて。

安全じゃない国のことを考えると、生きるのに精一杯だから、日々、「生き延びた」感があり、自殺など考えているヒマがないのではないか…と思いますよね。自殺するまえに、他殺だったり、病死だったり、戦死だったり、餓死するかもしれない。

そう考えると、自殺できる自由がある国なんだ、日本は…とも言える。自分の生き死にを自分で選べるってことは、(倫理的にどうかはおいといて)、とことん自由であるかもしれない。広い世界には、自分の生殺与奪を他の人に握られちゃっている国だって、たくさんあるから。

昨日の映画の主人公にしたって、かわいい子供、愛する奥さん、借金はあるとはいえ、はなばなしい過去の業績、つきあってくれる仲間がいるのにも関わらず、死んでしまう。ある意味、「贅沢」な悩みかもしれない。誇りのための自殺…みたいなことだろうか。

とはいえ、日本の多くの自殺の現状を昨日の映画の主人公と重ねて考えるのはムリがあるだろうな。昨日の映画の主人公は、ある種、芸術家タイプの自殺でしょうから…つまり、これ以上、映画が作れないならゼロって考える作品至上主義のタイプ…それは、普通の人から見たら、贅沢な悩みに見えるよね。

日本の多くの自殺は、そういう種類ではないでしょうから、一緒にしないでおこう。

とはいえ、自殺できるほど安全な国で良かった…とは思う。一方で、そんなに安全なのに、追い詰められちゃう辛さをわかれ!って言われそうですが、わかっている。自分も客観的にはさほど、不自由がない暮らしの割りには、しょっちゅう、この世の果てにたどり着いたような気分になっていますから。

最近は、年齢を重ねたせいで、焦燥感は減りましたけれども、数年前くらいまでは、結構、精神の均衡をとるのは難しかったし、やっとこ、生き延びた感じはある。

…で、なんだっけ?

安全な国、強いパスポートの国…と自殺。について考えようと思ったけど、まとまりませんでした。

外を見て、外の不幸を知り、己の不幸と比べ、己のほうがマシと知り、胸をなで下ろすのを、決して浅ましいと思わない。結局のところ、幸不幸は相対評価でしかなく(ほとんどのひとにとって)、だから、そういう視点で見ていくしかない気がする。

3千万円の借金を抱えて、自殺しようと富士の樹海に入ったひとが、同じく、借金で自殺しようとしていたひとと、出会う。彼の借金の額は、数十億だった。

「たかが、3千万円で自殺するのか、三千万なら、取り戻せるよ」と、数十億の借金を抱えたひとは笑う。こうして、出会った二人は、死なずに樹海を出て、生き延びた…って話をどこかで聞いた。

自殺できる自由のある国で良かったけど、それほど安全でまわりが幸せだから、死にたくなる場合もあるかもしれない。なにごとも、重なっているのだ。

過酷な条件かで傑作が生まれるみたいに?あ、これは別の話かな。いや、同じ話だ。

あ、明日は、某俳優さんと会うのだー楽しみー生きてて良かったー。