山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

パトロンがいればいいのに。

今日は、午後から編集に行って、夜はロケでした。

午後、出かけようとしたら、雷が鳴って、雨が降ってきた。うちの犬は、雷が怖くてしかたない。私が座っている椅子に登ってくる。椅子といってもアーロンチェアであるから、犬を乗せる余地はない。それでも、体を震わせて、身を寄せてくる。

うーかわいい。うーせつない。こんなに震えている犬をおいて、家を出られようか。自分にとって、犬は子供みたいなものである。…だからといって、普通のひとにとって、子供は犬のようなものである…ってことではないのだろうなあ。

犬は、子供のようなものだ…というのはひとつの真実であるが、

子供は犬ようなものだ…というわけにはいくまい。逆も真なり…ではないのだな。

そんなどーでもいいことに感心しつつ、家を出た。すると、赤坂ではすでに晴れていた。「雷すごかったよねー」と言っても、赤坂にいたひとには誰にも信じてもらえなかった。まるで、「雷」や「大雨」を遅れた言い訳にしているみたいじゃないかー。本当だよー雷もなったし、雨も降ったのだ。

かように天気は局地化している。これもちきゅうおんだんか…のせいですか?

夜は、再び、ロケでした。ここで初めて、テインパニーは仔牛の皮で出来ている…とか、音階がある…とか、知らなかったことを知る。それから、オーケストラってものがいかに計算されて、計画的に作られているか…とか。非常に巧みに、いつ、どのような順で、どんな楽器からどんな音を出すかってことが、事細かに作られているんだよね。

なんというか、楽譜はシナリオのようだ。それを知って、演奏を聴くのと、漠然と聴くのとでは、全然違う。この間、バルトークのコンサートに行ったけど、その時もずっと楽器を見ていた。音を出している楽器を見ている、音だけじゃなくて、視覚でも楽しめるってことが、最近ようやくわかった。

まだまだ、知らない世界があるんだよなあ。

そして、クラシック音楽のためのスタジオというのが、都内各地にあって、それぞれが、一棟立てのビルであり、スタジオが地下にあって、上階にオーナーが住まわれている…というケースが多いことも知った。たいてい、上品なご夫妻が経営されており、クラシック音楽を深く愛する方々なのだ。

そのようなスタジオに行くたび、クラシック音楽のすそ野の広さを思う。

映画にもそのようなものがあってもいいのではないか。映画好きの裕福な夫妻の経営する、スタジオ。広大な庭にスタジオやロケセットがあって、その一角に夫婦が暮らしている。そして、映画の撮影(独立系の映画など)に、手頃な値段で貸すのだ。

撮影にやってきたスタッフと、「あの映画のあのシーンはうちのスタジオで撮ったんだよー」なんて映画ファンならではの会話をする。

そういうスタジオがあっていいんじゃないか。そういう映画好きなお金持ちのひとがもっといていいんじゃないか…。パトロンという存在。

日本でパトロンっていうと、ホステスさんを支援するオヤジ……のイメージだけど、そっちじゃなくて、芸術家…っていうか、映画作ったり、小説書いたりしている、でも、あんまりお金ないひとたち(=わはは、自分)に優しいひとが、もっといたらいいのに。

そういうひとがたくさんいてこその文化立国になるのだと思う。

って要するに、投資目的の支援じゃないひとが(企業が)もっといたらいいなーってことでした。「儲かるから出資する」って、それだけじゃ、さみしいと思うよ。だったら、株とか債券買えばいいじゃないか。って思うのでした。

これを短冊に書いて、今年の七夕の願いとする…笑。