山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

つかこうへいさんが亡くなった。

つかこうへいさんが、10日亡くなった。

お会いしたことはないけれど、舞台はたくさん、拝見してきたし、「つか」劇団の方々の番組はいくつか作ったことがあった。

最初は、まだ、ADだったころ。「つかこうへい事務所、再会」みたいな企画があって、風間杜夫さん、平田満さん、、根岸季衣さん、長谷川康夫さん、石丸謙二郎さんが集まって、つか劇団時代のころを話す…というトーク番組を担当した。

長谷川さんが構成を考えたミニドラマもあって、それがすごく面白くて、ADとして参加できたことがうれしかった。場所を探したり、小道具を用意したり、一生懸命働いた。

しかし!

収録の直前になって、担当していたディレクターが会社を辞めてしまった。

「うわ、どーしょう!」ってことになったけど、プロデューサーに相談したら、

「俳優がいて、カメラがあれば、番組はできる!」って言われ、当日までにディレクターはなんとかするから、それまで、アンタひとりで頑張れ!と言われた。思えば、太っ腹のプロデューサーであった。(女性です)。おかげで、自分はだいぶ、鍛えられたんだけど。

結果的に言えば、番組はすごく面白かった。ミニドラマも風間さんたちの話もすっごく面白かったからだ。そして、彼らはしょっちゅう、「つかさん」の話をしていた。つかさんによって、自分たちは作られたーみたいなことを話していた。

会ったこともないのに、みんなの語るつかさんから、つかさん像ができあがった。とにかく、すごいひとで、横暴でわがままなのに、愛される方らしい、ってことがわかった。

この番組が縁で、のちに、風間杜夫さんと平田満さんのふたり芝居のメイキングの番組をディレクターとして、撮ることになった。そのとき、わたし、25歳くらいだったと思う。芝居づくりの現場に密着できて本当に楽しかった。そして、そこで、「口立て」なる、つかさん直伝の芝居の作り方を知った。

長谷川康夫さんが演出を担当され、まさらに、口角泡とばすって感じで、セリフをひとつひとつ伝えて、芝居を作っていった。30分の番組なので、そんなに必要ないのに、毎日のように稽古場に通って、稽古を撮った。

「熱海殺人事件」も「鎌田行進曲」も「飛龍伝」も「いつも心に太陽を」も強烈に面白かった。見ていると、なんかすぐ泣いてしまった。

今でも小劇場の舞台がスキだけど、たぶん、最初の小劇場体験はつかさんの舞台だった。わたしが見始めた頃はすでに、紀伊國屋ホールやパルコ劇場で公演されていたから、「小」劇場じゃなかったけれど。

ご冥福をお祈りしたい。

日本の舞台ってやっぱり、つかさんで劇的に変わったんだろうなあ。