山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

インターネットと芸術と犯罪。

引きこもりについて、30代の青年と話した。

彼が言うには、「インターネットなんてないほうが良かった」と。

というのは、ネットがあると、引きこもっていてもほどほどに楽しく、良くも悪くもパワーが集積せずに終わってしまうからだという。そうなると、突出した人物は誕生しずらい。小者ばかりになる。

ネットがなく、「2ちゃんねる」などで悪意を噴出させることもなかったら、その力がたまっていき、創作や芸人として花開く…というわけである。

彼が言うのは、ツイッターもどうかと思うそうで、なぜなら、短いつぶやきで満足しちゃって、ブログを書く人が減っているそうで、これもまた、本来なら「行き場のない思い」だったはずのものを、ネットによって、より簡単に昇華してしまったことになる。

そうか、そう言われてみればそうだなと思う。彼らの世代は、ホントにもう、「初めからなんでもある」世代なので、飢餓感を持つことが難しい。よほど、貧しい家庭に生まれない限り、たいていのことはそこそこに(ここが問題かもしれないけど)叶ってしまうのだ。

けれども、これはあくまで、「創作するひと」や「芸人」が輩出できるか…という視点から見た場合であって、ネットによって発散できるからこそ、犯罪に走るひとが減ったとも言えるかもしれない。(よく、ゲームの影響で青少年の犯罪が増加したように思われるけど、実際は明らかに、日本の青少年の犯罪は減っている)。

まあ、時代や環境が厳しいと犯罪も増えるけど、芸術も熟するので、どっちか片方というわけにはいかないようだ。って考えると、芸術って犯罪の鏡みたいなものなのかもしれないなー。

それから、最近、もうひとつ、考えたこと。自分の興味だったり、いる世界と全然違うことをやってみる…ということ。その青年は、「書き物」系のひとだが、筋トレに励んでいる。もっともかけ離れているようなことをやっているという。

同じように、30代の女子で進んでホラー映画を見に行く子がいる。ホラー映画って、普段使わない脳細胞を刺激するからだという。確かに、普段の暮らしでは、幽霊などのような「得体のしれないもの」への恐怖を感じることはない。

具体的な恐怖…というか怒りなどはたくさんあっても、「よくわからないけど、ぞっとする」みたいなことは減っている。特に都会生活で、24時間、キラキラと明るく安全な(本当にそうかどうかはわからないけど)地域に暮らしていると、漠然とした恐れを司る神経は使ってないかもしれない。

そんなわけで、30代の男子、女子から、教えを受けた話題でした。どっちにしても、彼らはとても堅実。自分が30代の初めはもっと、破綻していたように思うけど、今のひとは、妙に大人というか冷静のように思える。これも成熟社会になってきている証拠なのかしら。

それから、最後にひとつ質問です。昨日から、急にアクセス数が伸びています。普段の3倍くらい。

なぜ?

いつも読みに来てくださっている方以外で、なにかのきっかけで、今日、ココに来た方、もしよかったら、なんで、わたしのブログに来たのか、どこが発信源なのか、教えて下さい。深い意味はないんですけれども。メールかなんかに書いてくれてもいいし、ツイッターに、@aka720宛として、答えてもらってもいいです。教えてもらえたらうれしいです。

そうだ、今日は、ぴあフィルムフェスティバルに行って来ました。森岡龍くんの監督作「硬い恋人」を見に。このお話は、明日書きまする。