山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

バブルから遠く離れて。

フックファーストの遠藤店長とおっしゃる方が、「書店バブル」について、書いている。

「池上バブル」

書店バブルとは、短期間にひとりの作家の本が何冊も出て、それが続き、最初は売れるけど、やがて収束していく。そして、たくさんでればでるほど、本の中身がうすくなっていく…といった現象のことをさすようだ。

「茂木バブル」「勝間バブル」などもあって、今ははじけたそうだ。それについて、内田樹さんも、茂木さんも勝間さんもブログに書いていた。「バブル」を経験したひとの話だけに、うらやましくも面白かった。

で、バブルに無縁な自分ですが、自分の考えを…。

バブル状態って、なにも書物に限ったものではない…ということ。

タレントさんでもお菓子でも飲み物でも、「バブル」はいつでも起こっていて、いずれ収束する。その度合いが全般的に激しく、早くなっている気はするけれども。

お菓子だったら、ナタデココが大流行したり、今ならアルコールフリーのビールが生産追いつかなくなるほど、売れたりしているし、タレントさんでも、ちょっと売れると、ばーってそのひとばっかり出演して、ふと気づくと飽きられている…ってことはよくあるのだ。

長らくテレビの世界にいるので、そのような現象に立ち会うことが多かった。流行の食べ物、ひと、場所について、「とにかく、取材しておけ」とか「とりあえず、出しちゃえ」という指令や企画によって、番組を作ったりしたこともあるからね。(最近はそういう種類の仕事をやらなくなっているけれども)。

文頭の話に戻ると、ブックファーストの遠藤店長さんが仰ることはよく理解できるし、その嘆きみたいなものにも共感する。きっと、昔は、「本」というのは、そういう形で消費されるものではなかったんだろう。特に、小説などの作家だと、量産は難しいからね。

実際、書店バブルが可能な作家さんとは、小説などのフィクションではなくて、「新書」系の方たちのようだ。それだと量産しやすいのかもしれない。

監督や演出家は、バブルになりたくても、量産ができないので、なりきれないところが、前近代っていうか、悲しいような、それでいいような仕事である。しかし。

金融のバブルは、90年代に崩壊したけど、「バブル現象」という現象そのものは、強固に残ってしまった。というより、年々、強烈になっているような気がする。「IQ84」がバカ売れしたりするように。

なぜなんだろう。やっぱり、ネットの力かな。1度火が付くと、まわりが早い。消えたあとは、当分、どんな花も咲かない…と言ってみたいけど、そうでもなくて、バブルを経験したあとも生き残るものは生き残る。

今でも、ナタデココは売られているし、村上春樹さんが読まれなくなることはないだろう。

漠然とそういう時代に生きているんだ…ってこと。

あ、これが「祭り」ってことかな。すべての現象が「祭り」化していると。その本そのものを買うのではなく、流行っている本を買って読むこと、そのものが、「祭り」だと。

ツイッターで高橋源一郎さんが、マイケル・サンデルさんの「正義」の話をしていたけど、今は、サンデル祭りだ。自分も本も買ったし、テレビも欠かさず見たしね。

なにも全部の祭りに参加するわけじゃないけどね。

なので、賢いひとは、「バブル」目指して、策を練るのだ。1度波に乗ったら、ハンパではない報酬が入るからね。バブルを起こそうというわけだ。

1度はアワに乗ってみたいものだ…と弱々しい声で、つぶやいておこう…苦笑。