山田あかねの一喜一憂日記

テレビディレクターをやりながら、小説書いてます。映画も撮りました。脚本なども書いてます。 本、買って下さいね。

ネット社会の怖さ…はだかの毎日

カンニングしたことをツイッターで告白した学生のことが話題になっている。

これはこれで、由々しき問題ではあるけれども、本人は、友達にしゃべった程度、メールに書いた程度のつもりだったんじゃないかと思う。ちょっと考えれば、ツイッターは公の場所ってわかるはずだけど、普段から接して、ツイッターが日常になっていると、そこらへんの緊張感は薄れるのかもしれない。

おそろしいことじゃ。

で、まあ、カンニング問題はともかく。

最近、つらつら思うに、今に、「ツイート」分析などができるだろうと。あるいは、「ブログ」分析でもいい。

(すでにあるかもしれませんが…)

たとえば、ある特定のひとの全つぶやきを分析するソフトが現れる。

このソフトにかかれば、このひとのつぶやきで一番多いワードは、「疲れた」です、なんてことがわかってしまうかもしれない。

あるいは、全ツイートを分析の結果、

「疲れた」「眠い」「もういやだ」など、ネガティブなワードが多い。

真夜中に主につぶやく。

他人のツイートにけんかをふっかける傾向がある。

アイコンがかわいい女子ばかりフォローする。

誤字脱字が多い。

下ネタが多い。

…なんてことが、瞬時に分析されてしまうかもしれない。

そうすると、たとえば、就職の時などに、採用する会社はその学生の全ツイートを分析して、「すぐに会社をやめそうなやつ」かどうか、「恋多きやつ」かどうか、「お金使いが荒い」かどうか、「けんかっぱやいかどうか」などを知ることができるだろう。

ギャンブル好きかどうか、遅刻しやすいのか、などもわかってしまう。

そんなつぶやきだけで、本人の何がわかるのか…という見方もあるけど、案外、全つぶやきを分析したら、そのひと像がざっくりつかめるかもしれないなー。

好きなひとができたら、そのひとの全つぶやきを分析してみたい…と思うのは自然だろう。

たとえば、自分はアマゾンでよく本を買いますが、私好みの本の傾向はすっかり分析されていて、「おすすめ本」の案内が来るわけだけど、結構、ヒットすることが多く、勧められたものを買っている。

このほか、最近だと、家電やキッチン用品もアマゾンで買っているので、自分の生活傾向の何割かをアマゾンに知られているのだ。

今後ますます、ネットとのつながりが強くなると、少なくとも、「わたし」という存在の好むもの、発言、などはネット上では再現可能になるかもしれない。私がいなくなっても、それまでの私の資料の蓄積によって、「わたし」を存在させることもできるかもしれない。

たとえば、誰かが、「わたし」になりすましたとしても、それが「わたし」であることを証明するのが、クレジットカードの番号だったり、ネットにつながる際のパスワードだったりすると、「わたし」の情報を持っているひとが「わたし」ってことになりうる。

架空の他人になりすますことも可能になってくるわけだ。自分の頭の中身のほとんどがネット上に存在するとしたら、「わたし」はネットのなかでは、永遠に生きることができる。それまでのデータを分析して、未来に発言しそうなことを発言していけばいいのだから。

まあ、そこまで、考えるとSFめくけど、「ツイート」分析くらいは、すぐにでも実現する、リアリティのあることだろう。

自分の頭の中身を公にしているってことだ。

が。

小説を書く…なんてことは、自分の頭の中身を披露することであるから、いまさら、なにもうろたえたり、恥ずかしいと思ったりもしませんけれどもね。

すでにバレバレですし。

いやしかし、小説などの場合、世に出るまでに、何度も点検するから、自分が許す自分だけが外に出て行っているわけだけど、ツイッターやブログには、それほどの検閲もしていないので、「思わず、自分が出ちゃう」ってこともあるかもしれない。

とはいえ、このネット社会では、誰もが「バレバレ」の環境のなかで暮らしているので、『自分だけ』守ろうとしても、しょうがないかもしれないけどね。

国民みんなが裸の国なら、裸であることは、恥ずかしいことじゃなくなる…?みたいな…?