山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

犬と喪服。

今日は、午後の早い時間に、病院に行った。また、輸血をするためである。

待合室で、血液が届くのを待つ、ミニ。



貧血で顔は真っ青だ…といっても、犬だし、毛皮着ているから、普通のひとにはわからないだろうけどさ…。

でも、別の角度から見ると、こんなにかわいいのさ。



よおく、見たまえ。



私のGパンに頭をあずけて、座っているのだった。

今日は、輸血用の血が届くまで、待合室でミニと待っていた。ざっと2時間くらい。

その間に起こった、小さな出来事について書いておこう。

あるとき、待合室に、全身黒づくめの女性が入って来た。いわゆる喪服姿である。ぴかぴかの黒いシャネル・バッグを持って、黒いストッキングに黒いパンプス。うすくメイクした、リッチな感じの女性だ。

葬式帰りだろう。

女性は、受付で、今、葬儀が終わったことなどを話し始めた。病院のスタッフが、猫や小型犬を運ぶときのキャリングケースを持ってくる。どうやら、女性の飼っていた猫か犬が亡くなり、病院にあずけてあった、キャリーバックを受け取りに来たらしい。

バッグが残されていた…ということは、入院したまま、亡くなったのかもしれない。

女性は、しきりに、「みなさんに全力で治療にあたっていただいて、あの子も喜んでいると思います」と語っていた。

その時、私のかたわらにはミニがいた。ミニは今、生きてそばにいるけれども、危険な状態であることに変わりなく、女性の飼っていた小動物といつ、同じ運命になってもおかしくないのである。

女性の話を聞いているうちに、自分やミニと重なり、どんどん涙が流れてきた。大切な動物を失った女性の気持ちはいかほどだろうと思うし、その去っていった動物もさぞや無念であったろうと思われ、とめどなく、涙が流れる。

さらに、今、ここにいるミニだって、いつそんなことになるかわからず、そうなったら、身も世もないと思うと、挨拶にやってきた女性に同情しているのか、自分が悲しいのか、いったい、誰を哀れんでいるのかすっかりわからなくなり、しまいには、号泣していたのである。

バカか。

客観的に見れば、犬の傍らで順番を待っているだけの飼い主が、わんわんと泣いているなんて、へんな話だ。さすがに頭、おかしいよ、と思って、顔を上げると、他の席にいた、若い女性の飼い主も泣いていた。

彼女の犬は、1,2歳の若い子犬で、すこぶる元気なのであって、私のように自分の犬の行く末と重ねる必要はない。でも、泣いていた。

そうだよ。生き物を愛する者たちの気持ちは同じなのだなと思った。

同時に、喪服で動物病院に来るというのはどうなのであろうか…と思った。

これが、人間の病院であったら、ひどく、嫌がられるのではないか。確かに、病院で、喪服を着ているひとを見たことがない。しょっちゅう、起こっているはずなのに。不吉だから礼儀としてそんな恰好で行くひとはいないのだろう。

しかし、動物病院に喪服…というのも、アリかもしれないなと思い直した。だって、飼っている以上、必ず、生き物は死を迎えるんだし、とかく、犬猫の場合、そのことが隠蔽され、かわいい部分だけ、楽しい部分だけ、ピックアップされやすい。

けど、彼らは人間より、寿命が短いため、飼い主は必ず、そういう目に会う。その時の覚悟のためにも、そういう人を見かけるのは、悪くないのかもしれない。

さきほども猫好きの友人から電話をいただき、何匹もの猫たちを見送った話を聞いた。そうだ。そういうもんなんだ。わかってる。

でも!

でも、今は、納得しないぞ。

ミニは必ず、頑張って、持ち直して、また、私と海や野原やうちの近所のちっぽけな公園に、散歩に行くのだ。

真夜中まで、飼い主と一緒に起きて遊んで、朝は眠り、昼過ぎにぜいたくなご飯を食べて、生きていくのだ。

飼い主が仕事に絶望し、人生を投げ出したくなっても、いつも笑顔で、「君さえいれば最高なんだよ」と尻尾を全開で振れるように、そんな日が必ずくる。

まだ、諦めないぞ。頑張ろうな、ミニ。