山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

犬の、喪の仕事。

今日は、「喪の仕事」について説明します。

喪って…いったい、なんの仕事なんだ、急に葬儀屋さんに勤め始めたのか?と思われるかもしれませんが、自分にとっての、亡くした犬を悼む旅であります。仕事っていうと語弊があるから、喪の旅…としたほうがいいかもしれません。

先月、最愛の犬を亡くしまして、たいへん、ショックを受けました。10歳と高齢ではあったのですが、まだまだ元気で、毛並みもよく、つやつやしていたので、散歩で出会う方たちからは、そんなに年をとっているようには見えない!とよく言われていたのです(親バカですけれども)。

それに、数ヶ月おきに念入りに検査をしてきて、少しでも長く一緒にいたい…と気をつけてきたつもりが、わかったときには、余命三ヶ月~6ヶ月と言われてしまいました。

さらに、病気とわかってから亡くなるまでがあまりに短く(一ヶ月)、心の準備どころか、混乱のうちに亡くしてしまった…という感じでした。

ですから、どうしてこんなに急に死んでしまったのだろう。いったい、なにが原因だったのだろう。なにが悪かったのか。どうすればよかったのか。

…という、問いが自分のなかで渦巻き、片時も離れず、日に日にその思いが深まりました。

最初はひたすら悲しく、悲しみに溺れてなにもできなかったのですが、真実を知りたいという問いかけが生まれ始め、悲しみと疑問が交互にやってきて、自分を苦しめ、これはもう、「ほんとうのこと」を調べるしかないと思いました。

…とはいえ、なにが本当のことなのか、わかるかどうかわかりません。人間の場合でも、亡くなった原因を特定するのは難しい場合もあるだろうし、なにも医学的な真実だけを知りたいわけでもありません。

ただ、ひとりで考え、想像をふくらましているよりは、疑問に思ったことをひとつひとつ解決していくしか道はないと思いました。

私は、獣医でもないし、トレーナーでもないし、犬に関して特別な知識も経験もありません。ただ、好きな犬と暮らしていたというだけです。それでも、自分でわかる範囲で調べ、勉強し、必要があれば、専門家に会いに行き、質問をぶつけていこう…そう決めました。

そうしないことには、どうにもこうにもいられないからです。

ミニは、血管肉腫と組織球肉腫という、ゴールデンレトリーバーやシェパードなどの大型犬がかかりやすい、重い病気にかかっていました。肉腫…とは、ひらたく言えばガンです。とても致死率の高い、完治の難しい病気です。

そんな病気にかかってしまったのだから、しかたなかった、あきらめなさい…という考え方もあるかもしれません。
でも、それじゃ、イヤだったんです。

いったい、いつからその病気にかかり、いつそれが広がり、どのようにして悪化していったのか…ってことを知りたかった。もちろん、治療の途中でいろいろ経過報告はあったのですが、亡くなったあと、解剖して初めてわかったことも多かったので、調べることは無駄ではないと思いました。

献体についても、愛する犬の体にこれ以上メスを入れるのか?という問いかけもありました。あまりにかわいそうじゃないか…と。

でも。なんで死んでしまったかわからないより、調べることで、まず、第1に私の気持ちが納得する、次に、これから同じ病気にかかる犬たちの助けになる…この2点により、踏み切りました。

ミニのために…なんて、きれいごとはいいません。ミニは苦しんで死んでしまって、もう、なにもわからない。ミニが望んでいる…などともいいません。

飼い主である、自分が納得したい…それだけです。(他の犬のため…の気持ちも少しはあります。日本の獣医学の進歩のためにというのもあります)。

そうして、始めたのが喪の仕事です。ミニに関わった方々をめぐってお話を聞いています。そして、ひとつひとつ聞いていくと、私の思い込みが違っていたことがわかったり、逆に、自分の勘が正しかったことを知ったりと、新しい発見があるのです。

ここではそのひとつひとつは書きませんが、やはり、なにも知らずにおくよりよかったと思います。話を聞かせてくれた方たちの対応も含めて、学ぶことも多いし、ひとつわかるごとに自分の悲しみが、ひとつの場所におさまっていくような気持ちになります。

「あの時、ああしていれば、助かったのではないか?」
「本当はあのひとに相談すれば良かったのではないか?」
「あの日、仕事に行かなければ…」

このような、答えのない問いに対して、自分の心のなかで、想像しているよりも、冷静に順番に聞いていく、調べていく…そうすれば、恐ろしい悲しみと自責の渦から解放される道筋が見えるんです。

(決して、簡単に解放されたりはしないのですが…)。

これまで、4名の方にお話を聞きました。みなさん、私の愚かな問いに真剣に答えてくださいました。

これからも、いくつか訪ね歩く予定です。

わかることは、やっぱりすばらしいことだと思っています。

そんな風にしか行動できない自分は、根っからのテレビ屋、あるいは、取材者なのかもしれません。

面倒くさい、って思われていると思います。自分でもわかってます。いいこと、おすすめのこととも思いません。

でも、やりたいのです。それだけ。その先になにがあるかわからないけど、知りたい。それだけです。

旅はまだまだ続きます…。

この結果については、ブログで簡単に書いてしまえることではないので、個人のノートにまとめています。それが、いつか、なにかの形になるのか、自分の胸のなかに収まっていくのかは、まだわかりません。

今はただ、知りたいことを知ろうとしているだけです。