山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

脱・自己実現。



家でうすぼんやりしていたら、きれいなお花が届いた。

仲良しの編集者からだ。「まじめなわたしの不まじめな愛情」(徳間書店)を作ったときの、担当編集者。独特の感性を持った、20代のお肌つやつやギャルだ。

やさしいなあ。ミニとも仲良しだったし。なんかうれしかった。

そういえば、ずっとお花が途切れないんだ。



これはね、某キャスター君が贈ってくれたお花。もう、だいぶ枯れてしまったけど。一週間くらいまえにいただいた。ウイークディに毎晩、ニュースを伝えてくれるひとである。大学んときの友人で、自分が生まれて初めて撮った映画の主演だったのだ…笑。

そんなわけで、やさしいひとたちのあたたかな思いやりに囲まれて、少しずつ、息を吹き返している。

しかし、最近まで、そういったやさしい心使いに対しても、反応ができなかった。生きているのと仕事しているの以外のことは、できなかったのだ。ようやく、まわりの景色が見えてきた感じです。

それで、ふっと思ったのだ。

ひとのためになること(具体的には犬のためだけど)をやってみようと。無心にね、無報酬でね。

長い人生で、自分はずっと、「自己実現」「自己表現」という悪夢にはまってきたのだと思う。それこそがこの世で一番、大事なことだと。

なんかもう、そういうのに疲れてしまった。

ミニがいなくなって、本当に悲しくて、それ以上のことはこの世にないと思った。自分の創作意欲とか小さなことじゃないかと思った。もう、そういうもんにこだわって、じりじりするのやめようと思いました。

(いや、小説やめたとか、映画やめたとか、テレビやめたとかっていうんじゃないんですが…)。

1度、無心になりたいと。

「自己」なんとか…という頚木(くびき)から自由になりたい。

自己を消失させたい。自分が…自分は…って思いから解放されたいと思いました。

だけど、長年、「自分」にこだわってきたので、手始めにどうしていいかわからないでいるところです。

現在、調査をしておりまして、どのような形でなにをしたらいいのか、調べて考え中でございます。

不思議な感覚。

ミニがそっちに行きなよ…って言ってくれている気がする。自分はもう、助けられないんだから、今から間に合うコを助けてよって。そういう気がする。

頭、おかしい?ちょっとスピリチャル、入ってますか?

正直、入っていると思う。見えないものが見えているような気がするのだ。…あ、誤解を招く表現だな。

実際、もう、ミニの姿は見えないのですが、家に帰ってきたら、声にだして、「ただいま」とか言っております。話しかけております。客観的に誰かがみたら「おかしい」と思うような行動だろう。自分でもおかしいことはわかっている。

だけど、そうすると、気持ちが落ち着くのです。なので、話しかけています。

でも、きっと、治癒への過程ってそういうものではないか…と思っております。