山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ヒーリングに行ってきた。

今日は、ヒーラーの方のところへ行きました。

なぜ、行こうと思ったか、自分でもわかりません。うちの犬が苦しんでいるとき、犬によい波動を送ってくれる方がいると友人から紹介され、お願いしたことがありました。

残念ながら、ミニには間に合いませんでしたが、気になっていたのです。

特に自分がどこかを治してもらいたいとか、どこかが痛いとかそういうことではなかったのです。

痛いといえば、心がずっと痛いですが、それを「治そう」とは全然思っていませんでした。「痛くていい」と思っているんです、正直なところ。

ミニはあんなに苦しんでなくなったしまったので、自分ごときの心の苦しみなど、どれほどのものか。どれほど苦しんでも、ミニには届かない。そして、「痛み」こそが存在というか、愛情というか、ミニを感じていられる証のように思えるので、「痛い」ままでいいと思っていました。

だったら、ヒーリングなど必要ないじゃないか……そうです、そうです。

でも、行ってみたかったんです。このように、自分は、自分の意志よりも、好奇心がまさってしまうのですね。いいんだか、悪いんだか、わかりません。

あるいは、傷心を好奇心に変えることしかできないのかもしれません。根っからの取材者なのでしょうか。悲しい性(さが)でしょうか。

…という話はともかく、実際、ヒーリングに行ってどうだったかを書きます。

そこはとても清潔で、白とやわらかい色を基調とした落ち着いた部屋でした。アロマオイルのいい香りがして、鳥のさえずりが聞こえ、一歩入った途端に、気持ちがほぐれました。

ずっと以前に、「前世占い」というのに行ったことがあったんです。そこは、なんだか、すごい場所だったのです。普通の一軒家だったんですが、家に入ると、非常に乱雑で、生活感があふれ、猫が数匹横断し、登場した占い師さんも、もじゃもじゃ髪にエプロンのふつうのおばさん…みたいなひとでした。

それで、乱雑きわまる茶の間のはしにあった仏壇前で、前世を占ったもらったのです。しかし、この占い、案外、当たっていることが多かったので、霊感の優れた方は、ごちゃごちゃした場所に暮らしているのではないかと思いこんでいたわけです。

ところが。

今回訪れたところは、まったく違いました。もちろん、前世占いとヒーリングは全然ちがうものですから、比べるのもどうかと思いますし、前世占いに行ったのは、かれこれ、20年前なので、時代もちがうのであります。

で、ヒーリング。

いったい、どうしたことでありましょうか。なぜか、自分は、部屋に入った途端から、ほとんどずっと泣いていました。そういう計画ではなかったのですが…。とにかく、とめどなく涙が流れ、差し出されたティッシュ一箱、空にするくらい、泣きました。

なんでだろう?

ミニのことで、傷ついているので、なんとなく、行ってみた…それだけなんですけど、自分の不調を話す前に、とにかく、泣けて泣けて。

その後は、アロマの香りがただよう部屋で、施術(っていうのかな)をしていただいて、少し話をして、そのあと、また、どっと泣いて、帰って来ました。

帰りがけに、アロマオイルをふくませたティッシュをいただき、帰りの電車のなかとか、そのあと行った、舞台鑑賞中にずっと、その匂いを嗅いでいました。

ヒーリングってこういうことなのかな。泣いて、涙で出すってことなのかな。

ヒーラーの方も、やわらかい印象のしずかで落ち着いた方で、だから、安心して泣いたのかもしれません。私よりずっと若いのに。

あとにも先にも人前であんなに泣いたのははじめてです。非常に不思議な体験でした。

なので、今は、目が腫れてますよー。泣きすぎて。

その帰りに行ったのが、鄭義信さん作・演出の「アジアン・スイーツ」@下北沢スズナリです。いやーこれも、うるっとさせるところがいっぱいあるので、もう、一日じゅう、泣きっぱなしでした。

もしかして、これが、世にいう、デトックスなのでしょうか。

わかりません。今も目がしばしばしております。