山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

ひとが犬を愛するとき。

いやー、富士丸君の力はすごい。

すごいアクセス数だ。そして、あたたかいメールを下さる方もたくさん。

これまでにはなかった現象である。さすが、犬の力、犬を愛する力は強い。

…ということで、なぜ、ひとはこうまで、犬を愛するか…について考えてみたい。

本当は、数日前に五反田団の「迷子になるわ」を見て、昨日は、大人計画の「母を逃がす!」を見たので、どちらも、刺激的な舞台だったので、そのことについて、がっつり書きたい気持ちもあるけど、今日は、犬に席を一歩ゆずろう。いや、犬だったら、いつでも100歩ゆずるよー。っていうか、犬なら何歩でもゆずる。

…そう、なんで、こんなに犬って愛らしいんだろう。

犬を亡くした友人は、「正直、親が亡くなったときより悲しかった」と言っていた。表現が難しいけれど、気持ちはよくわかる。

なぜ、犬を悼む気持ちはこれほど強いのか。(たぶん、猫も)。

それは結局のところ、犬との思い出に、たったひとつも「いやなもの」がないからだろう。

これが、恋人であれ、子供であれ、親であったとしても、対象が人間である以上、すべてが美しい思い出というわけにはいかないだろう。

(いや…世の中には、セカチュー的な世界観もあるから、一概にはいえないけど)。

相手が人間であれば、どんなに好きでも愛していても、長い間、関係を築けば、トラブルが起きることもあるし、お互いゆずれない部分も出てくるだろうし、ちょっと嫌いな部分もあったりするし、おおむねよい関係でも、「全面的な愛」というものはあり得ないだろう。

しかし、犬との関係はちがう。

犬は、飼い主に全幅の信頼を寄せる。1度愛した飼い主を決して捨てはしない。飼い主が、犯罪者になろうと、自己破産しようと、失恋しようと、仕事にやる気がなくなって、この世をはかなんで、ひがなダラダラしていようと、いつも輝く目をして、全力で愛してくれる。

地位も名誉もお金も美貌も才能も関係ない。

ただそこにいる、あなただけを愛するのだ。しかも、見返りなしに。

そんな存在は、犬以外にこの世にいないのだ。(猫については詳しくないので、猫も含む…のかも知れないけど)

だから、一旦、犬との関係ができてしまうのと、その心地良さにはまってしまう。犬はどんなときも、なんでも許してくれるから。

ある意味、完璧で理想的な関係を築くことができるんだよなあ。人間相手だったらそうはいかない。

(人間と向き合わず、犬や猫に逃げ込む現代人…みたいな批判を浴びそうだけど…)。

だから、この理想的な関係を失うことが、これほど悲しいのだと思う。赤ちゃんとお母さんのような、全面的な関係。しかも、この関係は、母と子どもが入れ替え可能なのだ。犬は子どものようだけど、時に、親のようでもある。親のように、わたしを守ろうとする。

犬との関係は完璧なんだよなあ。

しかも、この関係、言い方は悪いけど、飼い主が常に絶対優位にいるんだよね。脅かされない。その保証のもとでの関係性。これほど安定した関係はないよね。

でもさ、ひとつだけ欠点がある。

やつらは、自分たちよりずっと早くいってしまうってことだ。そこだけが、この関係の最大の欠点なんだ。どんなに頼んでも、そこだけはね。

…というわけで、ひとが犬を愛する理由を考えてみました。