山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

幽霊が見せてくれるモノ

昨日は、幽霊モノ批判を書いてしまったので、多くのひとに嫌われたに違いない。

(ツイログのviewが1300を越えている!)

大切なひとが幽霊になって会いに来る…というのは定番だし、大切なひとが不治の病にかかる…のと同じ、涙ものの王道だからだ。

好きなひとは多いだろうし、制作側は、数字がとりやすいテーマとして、繰り返し使ってるし。

批判ばかりじゃなくて、幽霊ものでも、こういう形だと納得するんです…というものを書いておこう。

数ヶ月前に見た、友人の高原秀和さんが作・演出した舞台「平成戦後少女」。

主人公は、70代のおばあちゃんだ。彼女には死期が迫っていて、死の直前に、20歳の女子に若返える。厳密には死んでいないので、幽霊ものとはいいがたいが、しかし、20歳の女子の幽霊ともいえるので、大きなカテゴリーとして許してください。

なぜ、若返るかというと、このおばあちゃん、生きている間は苦労のしどうしだったからである。青春時代は戦争中で苦労し、戦後は、結婚したダンナが、ちっとも働かず、にもかかわらず、浮気をし、それでも、おばあちゃんは働きながら子供を育てる。

子育てが一段落したあとも夫には借金やら浮気やらでさんざん苦労をさせられる。そんなダンナが亡くなり、やっとひとりの時間が持てる…と思ったら、すでに70代、死期が迫っていた。

あー私の人生、ひとつもいいことがなかった…恋をしたこともなかった。今の若い人は自由でいいなーと憧れる。

これがきっかけで、20歳の肉体を手に入れるのだ。

20歳の女性として現世に現れるおばあちゃんの目的は、恋をすることだ。

ここで注目したいんだ。おばあちゃんが若返って現れるのは、自分のためなのである。

残して来た娘や孫を助けるためじゃない。昔の恋人を探すためでもない。

自分のやり残したことのために、戻ってくるのである。

このあと、元・おばあちゃんは、今の若い女子が普通にやっていることを体験しながら、自分の青春や人生がそう捨てたもんじゃないことに気づいていく。

20歳に若返ったおばあちゃん(幽霊のひとつのかたち)を通して、戦後に青春を過ごし、家族の犠牲になって生きてきた世代の女性を描いているし、同時に、今の女子がかかわる問題にも光をあてることになる。幽霊というかたちをとることでみえてくるものだ。

そういう構造を持っていると、納得する。映画「パンズラビリンス」とかも同じ。

……ということで、幽霊ものがみんな、嫌いと言っているわけではないので、思いを整理してみました。