山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

コンビニという自由

ここのところ、ずっとドキュメンタリー番組の編集をしていまして、毎晩23時ごろまで働いています。

今まではそういうとき、すぐにタクシーに乗ってしまったのですが、最近は、終電の地下鉄で帰ってきてます。節約…というより、編集室から駅まで歩いて、終電に乗るのがちょっとだけ楽しくて…。

働いている気がするから…。

というのは前振りで、地下鉄を降りると、すぐにコンビニがあります。特に買い物はないのに、毎晩、ちょっと寄りたくなります。

昨日はアイスモナカを買ってしまいましたが、この「ちょっと寄りたい気持ち」ってなんだろう…と気になって。

そういえば、前に仕事したドラマの制作部の青年は、「仕事が終わったあと、コンビニによって、好きな食べ物を買うのが何より楽しみ」と言ってました。

彼は自宅から通っているひとなので、家に帰れば、母親のつくった食事がいつでもあるというのに、コンビニで必ず買うんだそうです。

その時は、そんなことしたら、太るでしょ…くらいにしか思っていなかったけど、今日になって、その時の彼の気持ちがわかったような気がしました。

そのひとは、制作部のなかでも若い方で、まだ下っ端なわけです。だから、仕事中は上司から指示されることが多い。もちろん、自分で考えて動くこともあるでしょうが、基本、「言われたことをする」のが仕事になる。

そうなると、昼間は彼の自由はなくなる。仕事だから当然と言えば当然だけど、その行き場のない気持ちを夜になると解放したくなるのだろうな…と思った次第です。

だから、コンビニは彼にとって、彼の自由を回復する場所なんだって。

そこでは自由に好きなものを見て回り、好きなものを選んで買うことができる。

もちろん、経済的に限界はあるでしょうけれど、コンビニで売っているものってそこそこの値段だから、自由を謳歌できる。

そこで買うお菓子やお弁当などは、栄養を得るための「食べ物」ではなく、彼の「自由の象徴」なんだと思う。そこで手に入れるのは、食料ではなく、自由。

食べものなら、家に帰ればいくらでもある。タダで食べることができる。

それでも彼がコンビニで食べ物を買うのは、自分を取り戻したいからなんだと思う。

…それをさびしいこと…とはちっとも思わない。

そういう場所を持てることが大切だと思うから。

そこで自由を回復した彼は翌日も撮影現場に出かけて行くことができるから。

考えて見ると、サラリーマンにとっての居酒屋なども同じような使命を持っているのかもしれない。

会社から家に帰るまでに、自分を取り戻す場所として。

でも、ここでふと気づく。

自分を取り戻す場所って、家じゃだめなのかなって。まっすぐ家に帰ったのでは、自分を取り戻すことができないのでしょうか。

空に対する質問でした。

私も、最近、コンビニ立ち寄るのは、ちょっと自分がゆらいでいるからかもしれない。まだね、ちょっと編集の感じがつかめてないのかもしれない。

…なんて。単にアイスが食べたいだけかもしれませんが…。