山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

フツウのひとがおかしい…その2

昨日も書きましたけど、ホントに、フツウのひとがおかしい、おかしくなっているというのが、今の日本なんだと思いました。

昨日、NHKスペシャルで、「生活保護」についてやってました。働ける世代で生活保護を受けるひとが激増しているとのことです。

生活保護費は一ヶ月11万~12万くらいで、最低賃金でも、一ヶ月11万円くらいだそうで、金額だけ比較すると、そりゃ、汗水たらして働いても、なにもしなくても同じだったら、なにもしない方を選ぶんじゃないかって想像できますけど、でも、たぶん、お金だけの問題じゃないですよね。

生活保護は戦後の大変な時期に始まって、加入者は最初がピークだったそうですが、それがだんだん減っていったといいます。

これが、最近、また増えてるって話なんですけど、戦後すぐの生活保護費と最低賃金がどれくらいなのかわかりませんが、たぶん、生活保護を受けるひとが減って行った背景には、「働いたほうが儲かる」っていう金銭的な理由だけじゃなかったと思います。

やっぱり、働くことはいいことだって考え方と、働くことに希望が持てたんだと思います。それがなにもわかりやすい「やりがい」がある仕事じゃなくても、働くことに希望とか誇りが持てたのだろうと想像します。

けど、その夢はもう壊れちゃったのね。

働いたところでなんもいいことないって知ってしまったわけです。だから、稼働世代であっても、生活保護を受けるひとが増えちゃう。もちろん、ものすごーく儲かる仕事ばかりになれば別でしょうが、現実的にそんなことはないだろうし、だいたい、儲かる仕事っていうのは過酷だと思うし。

この悪循環。というか出口のない状況。

ざっくり考えたけど、70年代って政治と経済の季節で、そこに若者は夢を抱いたと思うんです。学生運動とか、高度経済成長とか。一緒にするな!って怒られそうだけど、どっちも、「社会は変えられる」って気分に支えられていたんだと思う。

けど、先に政治が失速し、(学生運動の失敗)、次に、経済がメインテーマになる。で、80年代まで、突っ走る。

と同時に出てきたのが、「恋愛」だよね。恋愛の季節になる。幸せになるには、政治に期待してもだめってことがわかって、お金と愛さえあれば大丈夫って言い切ったのが、80年代だと思う。

あの頃のテレビドラマはそれを象徴している。みんなが、恋愛至上主義で、でも、一方で、三高といって、恋愛するなら、高収入の相手がよいとされた。

それが、90年代に入ると破滅する。バブルと一緒に、経済的な夢が消え、同じように、恋愛のバケの皮もはがれた。

そのあとです。そのあとはもう、なにもない荒野が広がるだけ。

お金あっても幸せになれないし、だいたい、お金もない。

恋愛なんて、そんなに長くもたない。家族はとうに崩壊しているのに、メディアのなかでだけ、幸せ家族が描かれてる。

90年代以降ってほんと絶望的なんだよね、きっと。

だから、恋愛する若者は減り、仕事意欲も減り、引きこもったりするんだ。

一方で、女子は気軽に体を売るようになり、鬱病も増え、自殺も増える。

この絶望的な空気をどうにかしないと、「生活保護でいいや」ってひとを減らすことなんてできないだろう。

昨日の番組にでていた地道な努力をしている大阪市役所の現場のお兄さんとかはけなげだと思うけど。

地震と原発で、この絶望感に一時、風穴があいたようにも思えた。のんびり絶望してる場合じゃないでしょ。リアルに困っているひとがいるんだ…ってことで。

でも、それも半年たって、逆に絶望を強めることになってないかな。

「稼働世代で生活保護を受けるひとが増えてる」「フツウの子がAVに出る」「引きこもる」「結婚しない」「子供生まない」

こういうのは、みんな、底の部分で同じ根っこでつながっている気がする。

だから、どうしたらいいかなんて、私にはちっともわからないけど。

なぜなら、自分もいつもうっすら、絶望感に包まれているからであった。