山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

傷つかない技術。

昨晩、ツイッターに書いてしまったことだけど、もう少していねいに書いてみたい。

きっかけは、ツイッターで知った、とあるブログ

webデザインや写真などを扱っているクリエーターの方が書いてらっしゃる。

このなかに、アメリカのアート系の大学の授業のことが書いてあった。

ある授業で課題が出され、学生たちはそれぞれに趣向を凝らして作品を作った。提出の日、担当の教授は作品を見もしないで、「そのまま破り捨てるように。壊すように」と言ったそうだ。

学生は泣いたり、怒ったり、当然の反応をした。

その後で、この教授は、社会に出たらこのような目に何度でも会う。どんなに一生懸命作っても、スポンサーや発注者の気に入らなければ、却下されてしまう。なので、そんなことで傷つかないために、こういう授業をやったのだ…と言ったそうだ。

(正確には、この方のブログを読むのが一番いいと思いますが、だいたいの流れはこんな感じ)。

確かに、仕事をするようになったら、自分の思うままに作ったものが、全くの直しもなくOKをもらえることのほうが少ない。

自分は主にテレビの世界しか知らないけど、テレビで、「直し」は日常である。もちろん、できが悪くての直しもあるけど、そうじゃなくて、完成度が高かったとしても、「直し」をくらうことはいくらでもある。

プロデューサーの趣味に合わなかったり、スポンサーの意向だったり、視聴率を狙うためだったり、出演者の都合だったり。

とにかく、「直し」を出されることは日常だ。それにいちいち傷ついていたら、全然仕事にならない。それはよくわかっている。

だから、こういう「傷つかない技術」の授業はとても貴重だと思う。アメリカはどうか知らないけど、日本の若者は、どんどん傷つきやすくなっているから、「傷つかない技術」を伝授するのは、役に立つと思う。

が。

一方で立ち止まる。

実は先日、ある美術大学の先生と話した。

その時聞いた話しによると、今の大学は、職業訓練校のようになっていて、とにかく、社会に出てすぐに役立つようなことばかり教えたがる。就職率を高めることを目指す大学も多いという。

私は、最近の大学事情を知らなかったので、関心を持った。就職難だという話はよく聞いていたから、大学が就職率を上げようとしたり、すぐに仕事で役立つスキルを身につけさせようとするのは、自然かもしれないと思っていた。

ところ、その美大の方は、「うちの大学では、そのようなすぐに役立つ技術を教えたり、職業訓練校のようなことはしない。というより、「教える」という姿勢ではなく、学生と同じ目線でものをつくる場にしている」というようなことを言った。

ほほう、なるほどと思ったんだ。

就職難だから、一見、すぐに役立つ技術を身につけた方が、就職の時、有利のように見える。

例えば、テレビ、映像業界に就職するには、カメラの知識、編集の知識、撮影全体について把握していた方が、使う側からしたら、使いやすい。

いつでもADの不足しているテレビ制作会社などは、そういう人を積極的に雇うだろう。そういう意味では、「就職率」を上げることができるかもしれない。

しかし、待てよ、と思う。

ちょっとしたカメラの知識、編集のテクニック、現場の仕切り方を知っていることは大切だし、すぐ働けて役に立つかもしれない。だとしても、本当にそれだけで、ひとを選ぶだろうか。

テレビの仕事であっても、制作する側に求められるのは、「ちょっとした業務を難なくこなす」ひとだけではなく、新しい企画、面白いことを考えつき、実行に移すことができ、それを楽しむことができるひとだ。

目先の技術より、そういう基本を持ったひとのほうが、結局、長くこの業界で働くし、伸びていく。

で、そのような人たちが学生時代、何をやっていたかというと、ちっとも業界で働くための準備などせずに、自分の好きなものを追求していた場合が多いと思う。

だからね、傷つかない技術も必要だと思うんだけど、前述の美大の先生がおっしゃるように、大学は自由にものを作れる環境であったほうがいいと思う。

そこで、自分の「好き」を追求し、誰の顔色もうかがわず、好きなだけ、試して、楽しんで、失敗して、でもまた、作り始めて…

そういうことをした人の方が、結局は長いこと、「つくる」ことを生業にすることができるような気がする。

すぐに現場で役立つノウハウなどは、就職してからいくらでも身につけることができる。そして、そのような作法は、現場によって微妙に異なるから、準備しててもかえって邪魔になることだってある。(もちろん、役立つこともあるけど)

けど、「なにが面白いか」「なにを美しいと思うか」「なにに価値をおくか」といったような、ものづくりの基本みたいなことは、時間がたくさんあって、好き勝手にできる学生のころにしか、追求できない。

自分の望みをとことん、掘り下げておくことは、巡りめぐって、そのひとの人生を、といって大げさなら、仕事人生を支えることになると思う。そのひとを支える基本、倫理、理想、みたいなものが形づくられるからだ。

自分を鑑みても、学生の時に考えたこと、追求したこと、やりたいと思ったことは、結局、生涯かけてやることになっている。その基底の部分はこれだけ長く生きてもあんまり変わらない。

というか、困った時、迷った時に、いつもそこへもどっていくような気がする。自分の基準みたいなものへ。

だからね、大学は職業訓練校みたいにならないで、好きなモノを追求できる場であったほうがいいと思う。

ただ、これらは美術、文学、映像などの芸術分野において、そう思うけれど、経済学部や法学部、工学部などはどうなのかはわからない。

でも、ちょっと考えても、法学部でも、法律とはなにか…みたいな基本や哲学をおさえておくのは大切そうに思うけれども。(このあたりは、知識が乏しいので、自信もって言えませんが…)

というわけで、「大学で何を教えるか」について、考えてみました。

あ…でも、「傷つかない技術」というのは、傷つきやすいひとが多いので、どこかで、マニュアル化して、教えてもいいような気がする。

というか、今からでも、私も身につけたいわ、「傷つかない技術」があるのなら…。