山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

心理テストから浮かび上がるもの

ほとんどメールだけでつながっている、心理学とドイツ語を教えている大学の先生から、心理学のテストを受けました。

というか、雑談メールのなかで、出てきた他愛のない質問でした。

それは、

「白雪姫と7人の小人の物語で、なぜか、小人が一人足りません。この小人はどうしたのでしょう?」

というもの。

ひとり足りない小人、どうしたと思いますか。

私の答えは、「めんどくさいから来なかった」でした。

これから何がわかるかっていうと、その人が何にコンプレックスを持っているかがわかるのだそうです。

その説によると、「めんどくさいから来なかった」と答えた私は、特別、なにかに強いコンプレックスを持っているわけではないそうです。

コンプレックスを持っていたら、それに関連したことを答えるそう。

…でも、ホントに?

例えば、デートに出かけて来なかった…と答えると、「デート」や「恋愛」にコンプレックスを持っていることになるのでしょうか。

ホントに?

「ぶさいくだから来なかった」と答えたら、容姿にコンプレックスがあることになるのかもしれませんが、そんなに単純だろうかと。

逆から考えると、例えば、「背が低い」ことをコンプレックスに思っているひとがいるとして、その人は、
小人が来なかった理由を、「背が低いから」と答えるでしょうか。…そんなバカな。

もともと、小人は背が低いですから。

…だから、このテスト、あまり信頼できない…とその先生に書いたところ、「普通の人は、来なかったひとが、「小人」である部分にこだわらない。「小人」は記号に過ぎない」といわれました。

そうかなー。テストに「小人」ってでてきただけで、特別の感情が生まれるのではないか、と私は、思いました。

テレビの仕事をしているとせいか、「小人」という言葉には、立ち止まります。

テレビで「小人」という言葉を使う時は、かなり注意を払います。使えないわけではないですが、局のひとからはなんらかのアナウンスを受けることになります。

そういう世界で長く仕事をしてきたので、「単なる心理テスト」とはいえ、「小人」という言葉に反応してしまうんですね。とても記号だなんて思えない。

そんなことをメールに書いていたら、結局、ひとつのテストをきっかけに、その人が何かを語り出す…ことで、そのひとの問題が浮かび上がる…とのことでした。

確かに。

「なぜ、来なかったのか」と考え、その答えを話し、そういう風に考える道筋を説明しているうちに、おのずと「そのひとらしさ」が浮かび上がるのかもしれません。

ある種のカウンセリングみたいなものですね。

私は、心理テストの類は結構好きでよく試みるのですが、あんまり芳しい結果が得られないのです。

なぜなら、「小人」問題と同じで、問題そのものに表れる細かい部分に反応してしまうからです。

何色かの色を想像させて、その色で思い浮かぶひとを答えるテストもやったことがあります。

例えば「黄色」という色でイメージするひとは誰ですか?のようなテストです。

ところが私は、何色を提示されても、「同居人」くらいしか思い浮かばないんですね。それは、友人が少なく、仕事以外でかかわるひとが殆どいないからです。

だから、色によって、人に対する思いを判断する…と言われても、「好きなひと」も「避けたいひと」も全部同じひとになってしまう。テストとしては失敗のように思う。

けれども、その結果について、あれこれ話すことで、「この人は、同居人以外の人とは関わりのないひと、人間的つながりを感じることのできないひと」と診断されるのかもしれません。

…あら、あまりよい傾向ではないですね。ばれちゃまずいかな…笑。

ということで心理テストで浮かび上がるものは、答えそのものより、奇妙な質問によって、いろいろなことを考え直すこと、整理することにあるんだな、と思った次第です。

7人の小人のはずが、6人しかいなかった時、その理由はなんだと思いますか?

…これで、コンプレックスがわかりましたか?

では。