山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

世界はフラットへ。

小さなことだけど、最近、気になったことなど…。

昨晩は久しぶりに、六本木のシシリアに行った。老舗のイタリアンレストランである。

イタリアン…といっても、今、都心にあまたある、おしゃれで本格的なレストランではなく、「昔のイタリア料理」的な店である。

ピザやスパゲッティが一皿800円くらいで、何より、深夜2時くらいまでやっているのが魅力だった。

かつては、夜ご飯を食べ損なって深夜になってしまった時、よくお世話になった。それに普通の時間帯に行くと並んでいたりするほどの人気店だったのだ。

それが。

昨晩、久しぶりにいったら、「24時閉店」になっていた。早じまいになったなーと店のひとに聞いたら、深夜の客が激減したそうである。週末でも夜中に客は来なくなった…と。

そうなんだ-と、ビルの改築とともに随分キレイになった店内を見回し、しみじみした。24時までいた、私たちが最後の客だった。

店から出ると、六本木には、牛丼250円の看板の光る店がたくさんある。安くすませようと思えば、いくらでもできる。

もちろん、昔だってファストフードはあったけど、なんだか様相が変わってきた。

これをひとことで、「不況だから」とまとめるのはちがうような気もする。

人々の気分が変わったんだろうなーと思う。洋服も車もブランドモノを持つひとが減り、自分の身の丈にあった、そこそこのもので、満足するひとが増えたのだと思う。

夜通し遊ぶひとも減り、用もないのに繁華街をぶらついたりしないのだ。

家族のもとに帰って行く。

こういうのを、市民的成熟っていうのかな。落ち着いた、平和で静かな暮らし。それを望むひとが増えたんだろう。

ADさんを見ても、穏和なひとが多いし。自己主張が強いひとが益々減り、男子も女子もさほど差がないくらい、フラットになっている。男らしさも女らしさも、同時にゆっくり失われた。

思えば、この「男らしさ」とか「女らしさ」という根拠のない決めつけに双方の性が困らされてきたのだ。

そう思うと、いい時代になったのだ。服もユニセックスになったし、いろんなことが平板になった。

先日、ロケにいった時、カメラマンだけが男で、VE,AD、そして私の3人が女子だった。この四人で地方都市でロケをしていたのだけど、夜になり、食事をしていたとき、「女に囲まれているってことに、まったく気づかなかった」とカメラマンがふと口にした。

そう。そうなんだ。あまりに自然なことなので、「女のなかに男がひとり」という違和感が生まれなかったんだと思う。

男女という性別の個性より、それぞれの個性が際だち、性別など、小さな差異にしか感じられなかったんだと思う。

私もそう感じた。

世界はフラットに向かっている…そう信じたい。

もちろん、その陰で、すごい勢いで、格差が拡大しているのかもしれないけど…

民のかまどは にぎわいにけり…で

真実は私には見えていないのかもしれないけど…。