山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

「ニートの歩き方」その2

昨日、「ニートの歩き方」を読んで感じたことを書いたけど、(しかも、長い!)、まだ、言い足りないというか、書きたいことがあるので、つれづれなるままに書く。

昨日、最初にあとから書く、と言っておきながら書かずに終わらせた「映画が見られない」という話をやっぱり書く。

著者のphaさんは、映画が見られないという。どんなに面白くても、2時間じっとしていられないって。

でも、ちょっとわかる気がする。

phaさんの世代は子供のころからゲームやって育っている。ゲームっていうのは、自分が参加する能動的な遊びだ。

インターネットもしかり。テレビだって、自分でチャンネル変えられるし、見ながらいろんなことができる。

けど、映画は特別だ。

暗がりのなかに知らないひとと一緒に閉じ込められて、「しゃべるな、食べるな、飲むな、前の座席は蹴るな」など、いろいろ拘束される。

そりゃあ、きついだろう。見られないひとは見られないと思う。

思うに、こういうエンタメなども「習慣」がかなり作用する。習慣というか、学習というか。

映画を見たことのない世界のひとは、映画を見せられても、理解できないというし。

似たようなことでいうと、私は、スポーツ中継を見ることができない。ルールを知らない、ということもあるけど、どんな盛り上がった試合でも、集中できない。

サッカーでもプロ野球でも。唯一ルールを知っているテニスでもダメなんだ。

一緒に見ているひとが熱くなって応援しているのをみて、なんとか共感しようと思うけど、5分も見てると飽きちゃって、別のことがしたくなる。

これなども、スポーツを見るっていう習慣がないというか、見る訓練をされずに大人になってしまったので、見られないんだと思う。いや、もちろん、スポーツそのものに興味がないせいもあるけど。

なので、phaさんが映画見られないというのも想像できる。

というわけで、最初にこの本を読むきっかけとなった件はわりとすんなり理解できた。

何より、その他の哲学が面白くて新鮮だったからね。

働かないことは悪いことか…という問いかけは、そもそも、なんで働かないといけないのか、から始まって、つきつめていけば、人生ってなんだ?ってところまでいってしまう。

たいていのひとは、そこまで突き詰めずに、「なんとなく、みんながやってるから」という流れにのって、進学したり、働いたりするんだろう。

立ち止まらずにみんなと同じレールを歩けるひとはそのまま行けばいい。そっちはそっちでいい。

けど、立ち止まってしまうひとは立ち止まってしまう。そこから始まる論考が面白かったし、かなり、今の自分の気持ちに近いと思った。

phaさんは本の終わりで言う。

「子供を作ったり育てたりする欲求がないせいかもしれないけれど、30歳くらいですでに僕は人生でやりたいことは一通りやってしまったという思いがある。セックスもしたし海外にも住んだし美味しいものも食べた。たくさん本も読んだし音楽も聴いたし猫も飼った。いろんなことを考えたしいろんな景色を見た。

(中略)

1度は死ぬ前にやっとかなきゃ後悔する、というのはもうない。このあと人生がどんどん下り坂になったとしても特に未練はないと思う。いい人生だった」

いやーあっぱれ。

けど、自分もこういう気持ちに近い。

世界中、いろいろなところにいったし、恋愛もしたし、結婚もしたし、離婚もしたし、すごくリッチになったこともあるし、小説も書いたし、映画も撮ったし、テレビは死ぬほど作ったし、犬も飼った。

美味しいものは山ほど食べた。面白い友達とたくさん話したし、悲しい思いもしたし、入っちゃいけない場所なども行ってロケしたし、なかなか会えない人物にインタビューできたり、とにかく、ほんと、いろいろおもしろくて楽しい人生だった。まだ、やりたいことはあるけど、今死んでもそんなに後悔はない。(犬を残していくことはできないが…)

けど、私はphaさんより20年は長く生きてる。

だから、「いい人生だった」っていっても許されるような気がするけど、さすがに30代では早くないのか。

なんでそんなに満ち足りているんだろう…っていうのが不思議。

いや、人類が目指していた、「充足した人間」がもしかして、日本で育ち始めているんじゃないか。

もう、あくせく闘わない人類。生き残ることに必死じゃない人類。

そういうことかなーと想像すると楽しくなる。人類、成長したなーと。

けれども一方で、(昨日の日記にも書いたけど)、昔からこういう人はいたはずだ。明治時代の高等遊民とか。飢えることなく育ち、知的能力を備え、特別なにもしない人々。いたよね、いたはずだ。

ホントはこういうひとが増えたら、世界は平和で、ゆっくり動き、生きやすいんじゃないだろうか。

余分な魚を釣って売り歩くひとが現れなければ、領海をめぐって紛争しなくてすむんじゃないだろうか。

自分が食べられるだけの魚があればいいって言えるのって、素晴らしいよね。

そんなことを暑いさかりにまだまだ考えています。

今日は、試写にて、園子温監督の新作「希望の国」を見ました。

これについては、また、後日。