山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

死者が教えてくれる。

昨日は、テレビの制作会社に入って、初めての上司だった方のお通夜だった。

非常にまじめで、仕事熱心で、気骨のある方だったので、学生気分が抜けず、テレビの仕事にそれほど熱心になれなかった自分は、当然のごとく、怒られてばかりだった。

だいたい、AD(アシスタントディレクター)という、過酷な身分と仕事に向いているはずもなく、遅刻や失敗も多く、夜はあれて、よく飲みに行った。飲めないお酒を浴びるように飲むようになったのも、向いてない仕事に四苦八苦していたからかもしれない。

そんな風にして一年ほど、この上司から仕事を学び、指導され、怒られて過ごした。

その後、自分もディレクターになってからはほとんど話すこともなく、私は会社をやめてしまったし、時間はどんどん過ぎて、突然、訃報を受け取ることになった。

お通夜に伺うかどうか正直、迷った。もう、20年も会ってない。でも、なんだか、やっぱり行くべきだと思ってこわごわでかけた。

こわかったのだ。亡くなられてさえも、なんだか怒られるような気がして。

ギリギリまでテレビの仕事をされていたそうで、遺影も若々しく、昔の面影がそのままだった。

手を合わせ、安らかにと祈りつつ、やっぱり、謝ってしまった。すみません、ダメなADでした、すみません。

そのあと、いろいろ思い出した。いっぱい怒られたけれども理不尽な怒りや性差別的発言をぶつけられたことは、1度もなかった。

とてもまっすぐな方だった。間違っていることを間違っていると言っていたのだ。

わたしは正しく、怒られていた。

いまではもう、そんなに怒ってくれるひとはいない。

怒られた自分の至らなさをあらためて思い出させてくれた。いくつになっても、教えてもらうことばかりだなと思った。

命が有限であることもまた、葬儀に行くとひしひしと感じ、おまえはこの先どう生きるのかと問われているような気もした。

しかし、そんなことを思っていると、「おまえに生きる意味を教えるために、こっちは死んだわけじゃないぞ。甘えるな」と言われた気がした。

そうだ、そうだ。

謝りつつ、冥福を祈って帰ってきた。