山田あかねの一喜一憂日記

心に引っかかるテーマは前後の見境なく取材に行きます。映画、テレビ、本つくってます。

映画「ヒステリア」

「昨日、見て来ました。思わず泣きました!」という年下の女性の感想に刺激をうけ、早速出かけました。

ずばり、これは、あの「バイブレーター」誕生の物語です。

そうです、いわゆる、女性向けの大人のオモチャ「バイブ」誕生秘話なんですねー。

いやー全然知りませんでした、こんな物語があったとは。

もっといかがわしい歴史を漠然と想像していましたけど、実際は、(この映画で知る限りは)、ちょっとうるっとくるような、感動的な物語だったんです。

だから、最初に書いたように、心ある女性は涙ぐんで見ることになるんです。

では、中身。

タイトルになっている、「ヒステリア」は、日本では「ヒステリー」と言われている、ギリシア語の「子宮」を語源とする病の一種です。

ヒステリーといえば、イライラしたり、きーっ!となっている女性をさし、今でも通じる言葉ですが、どこか、侮蔑のニュアンスを女性なら感じていると思います。

「ヒスを起こした」とか「あの人はヒステリック」といえば、感情にまかせて怒ったり、泣いたり、制御不可能になり、論理のかけらもない状態をさして、あたかもそれが女性特有のもののように語られる。いわゆる、差別的な言葉ですよねー。

で、ヒステリアはそういう女性特有の情緒不安定な状態をさし、それが子宮から来る病気だと思われていました。舞台は1800年代のロンドン。伝統や格式を大事にするビクトリア朝の最盛期であり、同時にいろんなものが発明された時代でもある。

主人公はひとりの若き医師・モーティーマー・グランビル。彼が偶然にも、「ヒステリア」の専門医院に勤め出したところから、物語が始まる。

この医院では、「ヒステリア」にかかった上流階級の女性の治療をしている。患者の女性たちは、要するに夫とうまくいかず、行き場のない感情を抱えていて、それが精神を不安定にさせている。実はセックスレスだったり、欲求不満だったりが原因なんだけど、お堅いビクトリア朝時代、淑女である彼女たちはそんなことは言えないし、認められない。

だいたい、女性の快楽は男性からのみ得られるものと考えられていた…決められていたんですねー。

そこで、ヒステリアにかかってしまった女性の「治療」となるのが、なんと、医師の「手!」もしくは「指!」

マッサージをしてさしあげるのだ。このシーンがとっても面白い。まさか、本当にこんなことやってたの?って感じで進みます。描き方が朗らかでユーモアたっぷり。

で、この医院は大人気になるのですが、若き医師の「手」だけではたりず、「電動マッサージ器」つまり、バイブが発明されるわけです。

映画の底流に流れているのは、フェミ的志向なんだけど、それをていねいにユーモアに包んで、笑わせながら、女性たちの当時の悩みや見えない痛みを伝えてくれる。なんと上品で上級の手法だろう。

このように描けば、「フェミ映画」というレッテルを貼られることもなく、広く多くの人に見てもらえる。そこまでの計算があったわけではないようだけど、(パンフレットの監督インタビューを読むと、あくまで、ロマンチックコメディをやりたかったそう)、随所にそういう工夫が感じられた。

ヒステリアを直す、バイブの発明と、女性解放を目指す女性の生き方を交互に見せることで、女性の解放っていうと参政権などの固いものを想像しがちだけど、そうじゃない、心も体も解放するんですよーってことが、誰にでもわかるようにできている。

そのバランスがとてもよくて、ちっとも泣けるシーンじゃないのに、ラストに近づくと泣かずにはいられなかった。こんな風に笑いにつつんで、センスよく見せているからなおさら、その裏にある葛藤や苦悩まで感じられて。

わかるよ、わかるよって気持ちになった。

そして、これはやっぱり、「今まで誰も撮ったことのない映画」なんです。女性が監督になって初めて、語られることができた映画。

こういう作品見ちゃうとね、やっぱり、映画撮らないとね、と思うし、まだまだ「撮られていない映画」があるんだって強い気持ちになります。

でも決して、女性解放のプロパガンダ映画じゃないの。

(ちなみに私もプロパガンダ映画撮るつもりないし)。

随所で笑えて、飽きさせない演出。実は非常にシリアスで重大なテーマを扱っているのに、作りが軽やかなので、家族一緒に見ることがお勧めですね。(とか言っておこう)。

ゴールデンウィークにお勧め!(笑)